ジル・ド・フェラン

ジル・ド・フェラン
Gil de Ferran
インディアナポリス・モータースピードウェイ殿堂博物館にて(2011年)
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1967-11-11) 1967年11月11日
出身地 フランスの旗 フランスパリ
死没日 (2023-12-29) 2023年12月29日(56歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国フロリダ州オーパ・ロッカ(英語版)
インディカー・シリーズでの経歴
活動時期 2001-2003
所属 ペンスキー・レーシング
出走回数 31
優勝回数 5
ポールポジション 5
シリーズ最高順位 2位 (2003)
ジル・ド・フェラン
基本情報
CARTシリーズでの経歴
活動時期 1995-2001
所属 ホール・レーシング
ウォーカー・レーシング
ペンスキー・レーシング
出走回数 129
優勝回数 7
ポールポジション 16
シリーズ最高順位 1位 (2000 & 2001)
過去参加シリーズ
1993-1994
1991-1992
フォーミュラ3000
イギリス・フォーミュラ3選手権
選手権タイトル
2000, 2001
1992
CART ワールドシリーズ
イギリス・フォーミュラ3選手権
受賞
2003 インディ500 優勝

ジル・ド・フェランGil de Ferran, 1967年11月11日 - 2023年12月29日)は、フランス生まれブラジル育ちの元レーシングドライバーモータースポーツ・コンサルタント。

CARTシリーズの2年連続チャンピオン、インディ500優勝1回など北米のレースで活躍した。引退後は「BARホンダ」「ホンダF1」「マクラーレン」の管理職を歴任した。

経歴

カートデビューからイギリス進出まで

1983年にカートレーシングデビュー。翌1984年にはサンパウロカート選手権で優勝し、ブラジルカート選手権に進出する。1985年からはブラジルのフォーミュラ・フォードに参戦、2年後の1987年にはシーズン5勝を収めて総合チャンピオンとなった。

イギリス進出

1988年からイギリスへ進出し、フォーミュラ・フォードに参戦。同年、イギリスF3にもスポット参戦を果たしポールポジションを獲得、2位フィニッシュの好成績を収めた。1991年からはイギリスF3にフル参戦、3勝を挙げてルーベンス・バリチェロデビッド・クルサードに次ぐランキング3位を獲得。1992年にはイギリスF3で7勝を挙げチャンピオンを獲得、他にもマールボロマスターズF3マカオF3にも参戦し、それぞれ総合3位、総合6位に入賞と結果を残し続けた。

1993年、当時F1直下のカテゴリであった国際F3000選手権にステップアップする。第2戦シルバーストンで1勝を挙げランキング5位、1994年は2勝を挙げランキング3位の成績を収めた。渡英以後の好成績によりF1チームからのテスト走行オファーもあり、1992年から1993年にはウィリアムズF1[1][2]、やフットワーク・FA14[3]、1994年にはエストリルでのマクラーレン・MP4/9のテストに招かれたが、F1の正シート獲得には至らなかった。

CART, IRL参戦

ペンスキーでチャンピオンを獲得したフェラン車(2001年

1995年から彼のキャリア中、最も長く参戦したCARTに進出。同年ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いたほか、2000年と2001年には史上5人目となる2年連続ドライバーズチャンピオンを獲得した。また2001年にはIRLへのスポット参戦(2戦)を果たし、翌2002年からはCARTを離れIRLへレギュラー参戦を開始、シリーズ3位を獲得した。翌2003年にはインディ500優勝の他、引退レースとなったシーズン最終戦でも優勝し、総合2位に入賞。同シーズンを最後にドライバーを引退した。

ドライバー引退後

B・A・Rホンダ時代(2005年)

2005年、20年以上のレースキャリアを買われ、F1チームであるB・A・Rホンダのスポーティングディレクターに就任した。ドライバー出身のチームマネージャーらしく、ドライバーからの信望を集めたが特に大きな功績を残す事も無く、人員整理の一環で2007年シーズン中の7月にホンダF1チームから契約を解除された。

元々就任当初から、他チームからは何のために彼と契約をしたのか意図が分からないといった意見も聞かれた。これは当時のB・A・Rのチーム体制的にスポーティングディレクターという役職自体があいまいな役割であったことも一因と思われる。

現役復帰

現役復帰時期(2008年)

2008年に入り、アメリカン・ル・マン・シリーズに自らのチームを立ち上げ、チーム代表兼ドライバーとして参戦することを発表。5年ぶりに現役に復帰した。クラスはLMP2クラスで車両はホンダアキュラ・ARX-01b、チームメイトはフランス人ドライバーのサイモン・パジェノである。復帰初戦となった第4戦ソルトレイクシティでいきなり3位でフィニッシュし、フォーミュラカーでかつて見せた速さが未だに健在であることを示した。

2009年、LMP1規格車両であるアキュラ・ARX-02aを投入したアキュラと共に最上位のLMP1クラスに参戦。シーズン最多となる5勝を挙げたものの、セブリング12時間レースでのリタイアが響いてタイトルはハイクロフト・レーシングデビッド・ブラバムスコット・シャープの手に渡った。

マクラーレンのスタッフに就任

2018年5月、F1チーム「マクラーレン」の非公式コンサルタントとして契約した後、同年7月よりスポーティングディレクターに就任[4]。一方で2019年には「オフロード版フォーミュラE」とも称される電気自動車(EV)のレースシリーズ「エクストリームE」を創設し、運営団体の会長に就任した。

2020年、マクラーレンの米国インディカープロジェクトで発足した共同チーム「アロー・マクラーレン・レーシングSP」の要職に就いた[5]。フル参戦初年度となった2020年シーズンは、パトリシオ・オワードがドライバーランキング4位に入る成績に貢献したが、年内いっぱいの契約をもってチームを離脱[6]。2023年シーズンにコンサルタントとして、再びマクラーレンF1チームに復帰した[7]

死去

2023年12月29日にフロリダ州オーパ・ロッカ(英語版)のコンコースクラブで息子とのレース中に心臓発作を起こして死去。56歳没[8][9]

レース戦績

マカオグランプリ

チーム エンジン LEG1 LEG2 総合順位
1991年 イギリスの旗 エデンブリッジ・セオドール・レーシング 無限 DSQ DNS NC
1992年 イギリスの旗 ポール・スチュワート・レーシング 6 6 6位

イギリス・フォーミュラ3選手権

チーム シャシ エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
1988年 テックスピード・レーシング レイナード・873 VW B THR
SIL
THR
BRH
DON
SIL
BRH
THR
SIL
DON
SIL
SNE
OUL
SIL
BRH
SPA
THR
SIL
15
*16位 0
1991年 エデンブリッジ・レーシング レイナード・913 無限・MF204 A SIL
8
THR
DON
7
BRH
5
BRH
1
THR
8
SIL
7
DON
2
SIL
1
SIL
1
SNE
5
SIL
2
BRH
2
DON
5
SIL
6
THR
11
3位 54
1992年 ポール・スチュアート・レーシング レイナード・923 A DON
3
SIL
1
THR
1
BRH
2
THR
2
BRH
2
SIL
1
SIL
2
DON
1
SNE
5
SIL
Ret
PEM
1
SIL
2
DON
3
THR
1
SIL
1
1位 103

国際F3000選手権

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1993年 ポール・スチュワート・レーシング レイナード・93D コスワース DON
Ret
SIL
1
PAU
Ret
PER
Ret
HOC
9†
NÜR
2
SPA
2
MAG
Ret
NOG
7
4位 21
1994年 レイナード・94D ジャッド SIL
3
PAU
1
CAT
Ret
PER
1
HOC
3
SPA
5
EST
Ret
MAG
Ret
3位 28

アメリカン・オープンホイール

CART

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 順位 ポイント
1995年 ジム・ホール・レーシング レイナード・95i メルセデス MIA
Ret
SRF
16
PHX
11
LBH
27
NZR
19
INDY
Ret
MIL
8
DET
16
POR
10
ROA
Ret
TOR
16
CLE
14*
MIS
12
MDO
Ret
NHM
7
VAN
2
LS
1*
14位 56
1996年 レイナード・96i ホンダ MIA
2
RIO
10
SRF
Ret
LBH
5*
NZR
Ret
MIS1
9
MIL
9
DET
3
POR
2
CLE
1*
TOR
18
MIS2
Ret
MDO
17
ROA
Ret
VAN
Ret
LS
Ret
6位 104
1997年 ウォーカー・レーシング レイナード・97i MIA
Ret
SRF
5
LBH
Ret
NZR
4
RIO
11
STL
3
MIL
7
DET
3*
POR
2
CLE
2*
TOR
Ret
MIS
3
MDO
6
ROA
3
VAN
3
LS
5
FON
6
2位 162
1998年 レイナード・98i MIA
7
MOT
3
LBH
Ret*
NZR
4
RIO
Ret
STL
6
MIL
Ret
DET
3
POR
Ret
CLE
6
TOR
Ret
MIS
Ret
MDO
9
ROA
Ret
VAN
Ret
LS
Ret
HOU
Ret
SRF
14
FON
Ret
12位 67
1999年 レイナード・99i MIA
6
MOT
2
LBH
6
NZR
15
RIO
10
STL
Ret
MIL
3
POR
1*
CLE
2
ROA
Ret
TOR
Ret
MIS
Ret
DET
Ret
MDO
6
CHI
13
VAN
Ret
LS
6
HOU
17
SRF
Ret
FON
9
8位 108
2000年 チーム・ペンスキー レイナード・2Ki MIA
6*
LBH
7*
RIO
Ret
MOT
9
NZR
1
MIL
12
DET
9
POR
1
CLE
Ret
TOR
5
MIS
Ret
CHI
3
MDO
2
ROA
Ret
VAN
5
LS
2
STL
8
HOU
3*
SRF
Ret
FON
3
1位 168
2001年 レイナード・01i MTY
2
LBH
3
TXS
NH
NZR
Ret
MOT
Ret
MIL
7
DET
6
POR
13
CLE
4
TOR
14*
MIS
Ret
CHI
3
MDO
2
ROA
5
VAN
2
LAU
8
ROC
1*
HOU
1*
LS
3*
SRF
4
FON
6
1位 199

インディカー・シリーズ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
2001年 チーム・ペンスキー ダラーラ オールズモビル・オーロラ PHX
Ret
HMS ATL INDY
2
TXS PPIR RIR KAN NSH KTY STL CHI TX2 28位 46
2002年 シボレー HMS
2
PHX
2
FON
4
NZR
3
INDY
10
TXS
16
PPIR
1
RIR
2
KAN
5
NSH
2
MIS
5
KTY
21
STL
1
CHI
Ret
TX2 3位 443
2003年 トヨタ HMS
2
PHX
Ret
MOT INDY
1
TXS
8
PPIR
3
RIR
3
KAN
3
NSH
1
MIS
7
STL
3
KTY
9
NZR
4
CHI
12
FON
15
TX2
1
2位 489
インディ500
シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
1995年 レイナード イルモア-メルセデス 19 29 ジム・ホール・レーシング
2001年 ダラーラ オールズモビル 5 2 チーム・ペンスキー
2002年 シボレー 14 10
2003年 Gフォース トヨタ 10 1

アメリカン・ル・マン・シリーズ

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2008年 ド・フェラン・モータースポーツ HPD・ARX-01b LMP2 SEB
STP
LBH
UTA
3
LIM
7
MDO
Ret
ROA
8
MOS
5
DET
3
PET
5
LGA
2
8位 85
2009年 HPD・ARX-02a LMP1 SEB
Ret
STP
Ret
LBH
1
UTA
1
LIM
1
MDO
1
ROA
2
MOS
2
PET
7
LGA
1
2位 162

参照

  1. ^ Gil de Ferran tests the Williams FW14 Motorsport.com
  2. ^ Gil de Ferran relembra teste desastroso na F1 com "cãibra na bunda" e corte na cabeça Mortorsport.com
  3. ^ Archive: How a standout test launched the Verstappen name into F1 オートスポーツ 2021年1月6日
  4. ^ Auto Sports Web http://www.as-web.jp/f1/387065
  5. ^ “マクラーレン、2020年インディカーへのフル参戦を正式発表”. Formula1-data.com (2019年8月11日). 2020年6月20日閲覧。
  6. ^ “de Ferran, McLaren, part ways”. Racer (2021年1月25日). 2021年5月11日閲覧。
  7. ^ “ジル・ド・フェラン、マクラーレンF1再建に向けて古巣に復帰。インディ500勝者がコンサルタントとしてチームをサポート”. motorsport.com (2023年5月8日). 2023年5月31日閲覧。
  8. ^ “Gil de Ferran, Indianapolis 500 winner and Brazilian icon, dies at 56” (英語). AP News (2023年12月30日). 2023年12月30日閲覧。
  9. ^ “インディ500勝者ジル・ド・フェランが死去 ホンダF1やマクラーレンでも活躍”. F1-Gate.com (2023年12月30日). 2023年12月30日閲覧。

外部リンク

ジル・ド・フェラン公式ウェブサイト

タイトル
先代
ルーベンス・バリチェロ
イギリス・フォーミュラ3選手権
チャンピオン

1992
次代
ケルヴィン・バート
先代
ジャック・ヴィルヌーヴ
CARTシリーズ
ルーキー・オブ・ザ・イヤー

1995
次代
アレッサンドロ・ザナルディ
先代
ファン・パブロ・モントーヤ
CARTシリーズ
チャンピオン

2000-2001
次代
クリスチアーノ・ダ・マッタ
先代
エリオ・カストロネベス
インディ500勝者
2003
次代
バディ・ライス
イギリスの旗 マクラーレンF1チーム
チーム首脳
主なチームスタッフ
  • イギリスの旗 ピーター・プロドロモウ (テクニカルディレクター{空力})
  • イギリスの旗 ロブ・マーシャル(英語版)
  • イギリスの旗 ニール・ホールディ(スウェーデン語版)
  • イギリスの旗 ピアーズ・シン (エグゼクティブディレクター・オペレーション)
  • イギリスの旗 ニール・オートレイ (デザイン開発部門責任者)
  • 日本の旗 今井弘 (ディレクター・レースエンジニアリング)
現在のドライバー
F1車両
1966年 -
1980年
1981年 -
2016年
2017年 -
現在のPUサプライヤー
現在のスポンサー
  • ※役職等は2024年3月時点。
  • 過去のチーム関係者
主な関係者
創設者
チーム首脳
主なスタッフ
主なF1ドライバー
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
※年代と順序はマクラーレンで初出走した時期に基づく。 ※マクラーレンにおいて優勝したドライバーを中心に記載。太字はマクラーレンにおいてドライバーズワールドチャンピオンを獲得。斜体はマクラーレンにおいて優勝がないものの特筆されるドライバー。
  • F1以外のレース車両
Can-Am
  • M1A(英語版) (B, C)
  • M6A(英語版)
  • M8A(英語版) (B, C, D, F)
  • M12(英語版)
  • M20(英語版)
F2
  • M2A(英語版)
  • M4A(英語版)
F5000
  • M3A(英語版)
  • M10(英語版)
  • M18(英語版)
  • M22(英語版)
  • M25(英語版)
USAC/CART
  • M15(英語版)
  • M16(英語版) (A, B, C, C/D, D, E)
  • M24(英語版)
GT
  • ※レース用車両 / サーキット走行専用車。
  • 過去のF1関連組織
タイトルスポンサー
エンジンサプライヤー
イギリスの旗 B・A・R
主な関係者
BAR
レイナード
ホンダ / HRD
プロドライブ
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
F1車両
主なスポンサー
関連組織
※出身組織(本来の所属組織)別に分類。
日本の旗 ホンダF1
第五期
2026年 -
パワーユニット供給
主な関係者
  • (TBD)
第五期



供給先
関連組織
HRC
2022年 - 2025年
パワーユニット供給
主な関係者
元関係者
供給先
関連組織
第四期
2015年 - 2021年
パワーユニット供給
主な関係者
第四期
供給先
関連組織
第三期
2006年 - 2008年
ワークスチーム

2000年 - 2008年
エンジン供給
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
  • 日本の旗 福井威夫
  • 日本の旗 和田康裕(英語版)
  • 日本の旗 村松慶太(英語版)
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 HRD※1
イギリスの旗 HRF1※1
第三期


ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
エンジン供給先
関連組織
HRD
1998年 - 1999年
試作・試走のみ
主な関係者
車両
関連組織
無限ホンダ
1992年 - 2000年
エンジン供給
主な関係者

エンジン
供給先
関連組織
本田技術研究所
1991年 - 1994年
試作・試走のみ
主な関係者
  • 日本の旗 橋本健
  • 日本の旗 瀧敬之介
車両
  • RC1 (RC-F1 1.0X)
  • RC1B (RC-F1 1.5X)
  • RC2 (RC-F1 2.0X)
関連組織
第二期
1983年 - 1992年
エンジン供給
主な関係者
第二期
エンジン
供給先
関連組織
関連項目
第一期
1964年 - 1968年
ワークスチーム
主な関係者
日本の旗 本田技研工業
日本の旗 本田技術研究所
イギリスの旗 ホンダ・レーシング
第一期
ドライバー
テスト/リザーブドライバー:
車両
主なスポンサー
関連組織
関連項目
関連項目
※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。
※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。
※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。
※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。
※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
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