荒川静香

荒川 静香
Shizuka ARAKAWA
フィギュアスケート選手
2009年「Festa On Ice」での荒川静香
生誕 (1981-12-29) 1981年12月29日(42歳)
日本東京都品川区
出身地 神奈川県鎌倉市
身長 166センチメートル[1]
出身校 早稲田大学[2]
受賞 紫綬褒章(2006年)
所属事務所 ユニバーサルスポーツマーケティング
選手情報
世界フィギュアスケート殿堂 2018年
代表国 日本の旗 日本
カテゴリー 女子シングル
所属クラブ プリンスホテル
開始 1986年
引退 2006年5月7日
最高ランク 1位(2004–05シーズン)
ISUサイト バイオグラフィ
ISUパーソナルベストスコア
+3/-3 GOEシステム
総合191.342006年トリノ五輪
SP66.022006年トリノ五輪
FS125.322006年トリノ五輪
記録
大会成績
主要国際大会 1 2 3
オリンピック 1 0 0
世界選手権 1 0 0
四大陸選手権 0 2 0
グランプリファイナル 0 1 1
合計数 2 3 1
国内大会 1 2 3
全日本選手権 2 3 3
全日本ジュニア選手権 3 0 0
獲得メダル
""オリンピック""
2006 トリノ 女子シングル
世界選手権
2004 ドルトムント 女子シングル
四大陸選手権
2002 全州 女子シングル
2003 北京 女子シングル
グランプリファイナル
2003 コロラドスプリングス 女子シングル
2004 北京 女子シングル

荒川 静香(あらかわ しずか、1981年12月29日[1] - )は、神奈川県鎌倉市出身の、1990年代から2000年代にかけて活躍した日本フィギュアスケート選手(女子シングル)である。マネジメントはユニバーサルスポーツマーケティング「USM」在籍(2007年 - )

主な戦績は、2006年トリノオリンピック金メダル2004年世界選手権優勝、1998年長野オリンピック13位、1997年・1998年全日本選手権2連覇、2003年ユニバーシアード冬季大会冬季アジア競技大会2004年NHK杯各優勝、2004年GPファイナル2位など。

神奈川県鎌倉市出身だが、利府町に約10年間住んでいた縁から、利府町観光大使に就任[3]

アジア選手として初めて冬季オリンピックフィギュアスケート競技で金メダルを獲得し、「東洋の女神」と称えられた[4]

人物

1981年昭和56年)12月29日東京都品川区にある関東逓信病院で生まれ、サラリーマンの父と幼稚園教諭の母のもと、神奈川県鎌倉市で育てられた[5]。名前の「静香」は、鎌倉に縁の深い静御前に因む[6]1983年(昭和58年)春、父親の転勤に伴って、1歳4ヶ月で宮城県仙台市に転居、1993年平成5年)「宮城郡 利府町」に転居し、約10年間 宮城郡 利府町に在住。利府町立しらかし台小学校、その後 利府町立しらかし台中学校[7][2]1997年(平成9年)、県下ではアイスホッケーやフィギュアスケートが盛んなことで知られる東北高等学校に入学[2]2000年(平成12年)早稲田大学教育学部に入学し、卒業後の2004年(平成14年)春よりプリンスホテル(東京都)に所属[2]2013年(平成25年)12月29日、自らの誕生日に一般男性との結婚を発表した[8][9][10]。2014年11月6日に第1子(長女)を出産した[11][12]2018年5月23日、第2子(長男)出産を報告[13]

公式サイト上には「出身地:神奈川県鎌倉市(出生地:東京都品川区)」と記載されている[5] が、マスメディアではしばしば「宮城県出身」と紹介される[14]。乳児期から高校卒業までを宮城県で過ごし、小学生時から「宮城郡利府町」に住み、約10年間を過ごした。トリノオリンピック の2006年2月当時も実家は利府町にあった。

荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、生活費用を圧迫するフィギュアスケート活動継続のために、母親が衣装を手作りするなどの多くの支えがあったという[15]

海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていた[16]。日本での愛称はしーちゃん[17][18]。尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチ佐藤有香[19]。佐藤有香は1998-1999年シーズンの振付も担当している[20]安藤美姫恩田美栄鈴木明子には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた(村主章枝#人物参照)。

趣味グルメで、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている[21]。アイスクリームは好物であるものの、特にチョコミントアイスクリームだけは苦手としている。意外な趣味としてはバイク。2011年11月に大型二輪免許を取得している。愛車はヤマハ・ボルト[22]。2023年時点では愛車は電動ママチャリだが「機会があれば乗り回したい」と述べている[23]シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家[※ 1]

経歴

長野オリンピック出場

幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていた。なかでも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたという。5歳のとき遊びに行った勝山スケーティングクラブでスケートに興味を持ち「ちびっこスケート教室」に入会した[24]。小学1年生のとき、オレンジワン泉(現・アイスリンク仙台[※ 2] のスケートクラブ「泉DLLアカデミー」に入会し、長久保裕の指導の元本格的にフィギュアスケートを始めた[25]。小学3年生のときに5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれた。小学5年生で第1回野辺山合宿に参加[26][27]。小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場し、7位となった。また、1994年に初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝を果たした。

1994年、中学1年生で2度目の全日本ジュニア選手権に出場し優勝、以降この大会で史上初の3連覇を果たした。同様に全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも3連覇を達成した。1995年、中学2年生で出場した国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させてシニアの部で優勝。1997年、中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し、村主章枝に次いで2位に入った。同年の世界選手権の日本女子シングル代表枠は2枠だったが、荒川にはまだシニアでの実績がなかったためと、同回全日本選手権にケガで欠場した横谷花絵が特例で選出されたため、荒川の世界選手権入りはならなかった。

シニアへ完全移行1年目の1997-1998シーズン、第66回全日本選手権でライバルの村主らと競り合う中で高校1年生で初優勝を果たし、1枠しかなかった1998年長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取る。自身初のオリンピック出場となる長野五輪女子シングルでは、SPでは3回転ルッツ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを成功させたが、フリップがダブルとなり14位。フリーではルッツが2回共2回転と失敗、最後の3回転トウループを転倒するなど本調子では無かったが14位、総合で13位に入った。しかし一方、同じく初の代表だった1998年世界選手権では、ジャンプミスが続いて総合22位に終わった。

1998-1999シーズン、第67回全日本選手権では再び村主に競り勝ち2連覇を果たす。1999年アジア冬季競技大会では2位となったが、この年から始まった1999年四大陸選手権で6位に終わり、1999年世界選手権の代表入りを逃した。1999-2000シーズンは不調で低迷、昨年に続き世界選手権に選出されなかった。

世界選手権優勝

2003年スケートカナダ

自己推薦入試早稲田大学に進学、初めて親元を離れて東京での生活を始める。2000-2001シーズンは新横浜のプリンスクラブに在籍、染矢慎二に師事し初めてマンツーマンでのレッスンを経験する[28]。このシーズンから、プログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたという[28]第69回全日本選手権は2位だったものの、国際大会ではふるわなかった。

2001-2002シーズンからは佐藤久美子に師事。2002年ソルトレークシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠あったが、1枠はグランプリファイナルに進出した恩田美栄が早々と五輪内定に。残り1枠が賭かった全日本選手権では、またしても村主との激闘を繰り広げたが、ジャンプ失敗が響いて総合2位に敗れ、2大会連続の五輪代表選出はかなわなかった。ただし四大陸選手権では、五輪代表の恩田(3位)を上回り総合2位と健闘した。

2002-2003シーズン、練習拠点を神宮外苑スケート場に移し佐野稔に師事、振付はニコライ・モロゾフに依頼した[29]。2002年末の第71回全日本選手権で3位になった後、年明けはユニバーシアード冬季競技大会冬季アジア大会で立て続けに優勝。さらに四大陸選手権では2年連続の2位、初進出のグランプリファイナルでは4位となった。世界選手権直前に、リチャード・キャラハンの指導を受けることになった[30]。5年ぶりに出場した世界選手権では、SPでスピンに入る前に氷の溝にはまる不運で転倒、さらに肩を脱臼するアクシデントに見舞われたが、スピンをしながら肩をはめ直し最後まで滑りきった。フリーでは3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループと高難度のコンビネーションを決め、初の入賞となる総合8位となった[31]

2003-2004シーズンは本格的にアメリカに練習場所を移し、キャラハンコーチの下で練習を続けた[30]GPファイナルを含むGPシリーズ4戦全てで表彰台に上がり、全日本選手権3位ながら世界選手権の代表に選ばれた。世界選手権の3週間前、急遽コーチをタチアナ・タラソワに変更[30][※ 3]。世界選手権はフリーで3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループ、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを含む全ての要素を完璧に決め、技術点では6.0満点も獲得して総合優勝を果たし、日本人選手として10年ぶり3人目の金メダリストに輝いた。実はこの当時、予選直前に左足坐骨を骨折する大ケガを負ったが、軽い肉離れだと思って競技を続けていたという[32]。当時はシーズンいっぱいでの競技引退、プロスケーター転向を決意していたが[33]、大学卒業後もプリンスホテルに所属して競技を続けることになった。卒業論文は「スポーツとマスコミの考察」。元々マスコミが苦手であったが、研究することで取材する側の気持ちが理解できるようになったという[34]

2004年世界選手権

トリノオリンピックで日本代表唯一の金メダル獲得

2004-2005シーズン、NHK杯で初優勝。GPファイナルでは自身最高の2位に入る。しかし全日本選手権はSP1位だったが、足の怪我でフリーを棄権。それでも昨年優勝の実績により、世界選手権に3年連続で選出された。世界選手権のSPは5位につけたが、フリー演技では必須のアクセルジャンプを跳び忘れるなどで得点が伸びず、総合9位に沈んだ。

2005-2006シーズンは中国杯エリック・ボンパール杯でそれぞれ3位につけたものの、グランプリファイナル進出を逃してしまった。この時は「日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がりオリンピック出場枠が埋まったら?」と記者に質問された際、「引退する」と発言していたが[35]全日本選手権で3位に入ったことで、8年ぶり2回目の五輪出場となるトリノオリンピック代表選出が決まった。

2005年12月、タラソワとの師弟関係を解消する。理由は、タラソワの新採点方式への対応が遅れていたので氷上で直接指導するニコライ・モロゾフについてステップのレベルを上げようとしたところ、タラソワとモロゾフが共同作業を拒んだため[36]。その後、正式にモロゾフの指導を受けることにし、国内では佐藤久美子に師事することとなった。加えて、SPとフリーのプログラムを同時に変更した。フリーで使用していた「幻想即興曲」をSPに回し、フリーは2004年世界選手権優勝時にも使用した「トゥーランドット」にした。

トリノ五輪女子シングル(SP:2月21日、FS:2月23日)では、SPでほぼノーミスの内容で3位につけ、荒川・サーシャ・コーエンイリーナ・スルツカヤの上位3人全員が66点台に乗せ、1点差以内に並ぶ大接戦となった。フリーではループジャンプがダブルとなった以外は完璧の演技を披露、自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。合計スコア191.34で総合優勝を果たし、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同五輪日本代表選手として唯一のメダル)を獲得。五輪女子フィギュア史上最年長(24歳)の金メダル獲得でもあった。ショートプログラム (SP) とフリースケーティング(フリー)で合計7つあるスピンと2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、2つのステップはともに事実上最高難度であるレベル3を獲得した。このようにレベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川ただ1人であり、また、ISUジャッジングシステム導入後のISU公式試合を通じても初めてのことであった。演技構成点で8点台をマークしたのも荒川ただ一人だった。

トリノ五輪後の世界選手権3月19日 - 26日)にも選ばれていたが、調整不足のため出場を辞退した(代替選手は恩田美栄)。同選手権終了の次の日にあたる3月27日)、仙台市都心部東二番丁通りにて凱旋パレードが実施され、沿道には約7万3000人の観衆が集まった。同年5月7日、記者会見でアマチュア競技引退とプロ転向を表明。会見の席で「今後は自身の演技力の向上やスケート界を広くサポートしていきたい」と語った。

プロ転向後

2006年5月8日、自身で企画・プロデュースしたアイスショーフレンズ・オン・アイス」を開催。同年6月からは「チャンピオンズ・オン・アイス 2006」に、11月にはプロフィギュアスケートの祭典「アイス・ウォーズ」に参加するなど、トリノオリンピックから1年の間に国内外の様々なアイスショーに出演した。

2007年4月3日、小学校から高校を卒業するまで練習拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケート教室を開いた。7月28日には、長野県南牧村で開かれた日本スケート連盟主催のアイスショー「野辺山サマーフェスティバル・オン・アイス」にサプライズゲストとして出演。2010年3月19日と21日に米ABCで放映されたスペシャル番組『Thin Ice』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容[37])ではステファン・ランビエールとペアを組んで[38] 総合3位となったが、視聴者投票では1位、と好評を得た[39]

2011年に石川翔子のフリープログラム「ミス・サイゴン」の振り付けを行った。これは荒川による初めての競技プログラムの振り付けである[40]。2012年9月23日、日本スケート連盟評議員会で史上最年少の30歳で日本スケート連盟理事に選任された[41]。2012年10月5日に行われたプロアマ混合の国際大会、第1回メダルウィナーズ・オープンで優勝し初代女王となった[42]。2014年10月8日、日本スケート連盟役員改選にて史上最年少の32歳で日本スケート連盟副会長に選任された[43][44]。2014年4月16日、自身の公式HPで妊娠3か月を公表し、当分の間アイスショーへの出演辞退を表明する[45]。同年11月長女を出産、約1か月後の同年12月、グランプリファイナルで解説者として仕事復帰を果たす。2016年4月にワシントン州スポケーンで初開催されたコーセー・チームチャレンジカップでアジアチームのチームキャプテンを務めた[46]。2018年4月17日、日本人として3人目の世界フィギュアスケート殿堂入りが発表された[47]。2018年5月に第2子(長男)を出産[48]。2022年9月で日本スケート連盟副会長を任期満了で退任[49]

現在はアイスショー出演、バラエティ番組の出演、スケート解説、オリンピックキャスターを務めるなどの活動している。

その他

  • 野辺山合宿は全国の隠れた才能を掘り起こすのが目的だったが、実は「宮城の天才少女、荒川静香」を抜擢するのも狙いの一つだった。ところが1992年7月に初めて開かれた合宿に、荒川は宮城県連の推薦が得られず応募できなかった。慌てたスケート連盟は同年9月に改めて合宿を開き、荒川を追加招集した。以降、都道府県連の推薦が無くても直接応募できるように手続きが変えられた[50]
  • トリノオリンピック一ヶ月前に、セントルイスから拠点のコネチカットに帰る途中、死を覚悟した体験があったという。空港上空で後輪が出ないため胴体着陸をするアナウンスが流れた時、「もし生き延びたら、トリノでは感謝の気持ちで演技しようと思った」と回顧している[51]
  • トリノオリンピック女子シングル金メダルに輝いたことを記念して、出身校の仙台市立台原小学校にヤエベニシダレが植樹された。名称は「チェリーバウアー (Cherry Bauer)」。
  • トリノオリンピックの練習時に、アメリカの音響機器メーカー・ボーズが発売したノイズキャンセリングヘッドホンQuietComfort」を装着している映像が幾度も流れ、ボーズ株式会社に問い合わせが殺到。認知度アップおよび売り上げアップに貢献した[52]
  • 2011年11月に「完全に思いつき」でオートバイの大型運転免許を取得した。愛車はヤマハ・XVS1300CAストライカー[53]。ただし免許取得後は全くオートバイに乗っていないとのことで、そのため2012年末には『大人のバイク時間 MOTORISE』(BS11)の企画で改めて講習を受けることになった[54]。2013年、ヤマハ発動機販売よりヤマハのバイクPR大使「JAPAN CRUISING アンバサダー」に任命され[55]、講習会やミーティングイベントに参加している[56]。2014年にはヤマハ発動機本社を訪問、ヤマハ・ボルトを贈呈された[57]

技術・演技

荒川静香のイナバウアー 側方から

スケーティングには重厚感と伸びがある[58]
競技では用いなかったものの、トリノオリンピックの公式練習では3回転ルッツ-3回転ループの2連続3回転や、3回転サルコウ-3回転トウループ-3回転ループ、3回転トウループ-3回転トウループ-3回転ループの3連続3回転を披露しているほか、練習では3回転アクセルや4回転トウループを跳んだこともあった[59][60]。ジャンプの種類ではルッツを得意とする一方、フリップでは踏み切る瞬間にアウトサイドエッジに乗ってしまう「リップ」になりがちだった[61]
大きく上体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は特徴的。トリノオリンピック後はものまねが流行し、2006年の新語・流行語大賞を受賞するまでになった[62]。競技では決して加点されることのないイナバウアーを彼女が敢えて取り入れたのは、長野オリンピックで実際に見たスルヤ・ボナリーバックフリップを見て大感動したからだった。禁止ワザで大減点されたにもかかわらず観衆の大喝采を浴びたそのパフォーマンスを見て、ルールに縛られて自分らしさを失うより、人々の記憶に残るスケーターになりたいと強く思ったからだと語っている[63]
身体がとても柔軟で、ビールマンスピンの練習を始めたころは「体が柔らかすぎてグニャグニャなので、どこで止めるのかが難しい」と言っていた[64]

記録

新採点システム:

  • ショートプログラム世界最高得点 59.02点(2003 スケートアメリカ)[65]
  • フリースケーティング世界最高得点 113.37点(2003 スケートアメリカ)[66]
  • 合計スコア世界最高得点 172.39点(2003 スケートアメリカ)[67]
  • 新採点システムによる女子シングル初3回転ルッツ-3回転トウループ(2003 スケートカナダ フリースケーティング)[68]
  • 新採点システムによる女子シングル初3回転サルコウ-3回転トウループ(2004 NHK杯 フリースケーティング)[69]

旧採点システム:

その他:

主な戦績

大会/年 93-94 94-95 95-96 96-97 97-98 98-99 99-00 00-01 01-02 02-03 03-04 04-05 05-06
冬季オリンピック 13 1
世界選手権 22 8 1 9 辞退
四大陸選手権 6 6 2 2
全日本選手権 2 1 1 5 2 2 3 3 棄権 3
冬季アジア大会 2 1
GPファイナル 4 3 2
GP中国杯 3
GPエリック杯 9 6 2 3
GPロシア杯 7 5 2
GPNHK杯 7 6 8 5 3 1
GPスケートアメリカ 9 4 3
GPスケートカナダ 2
GPスパルカッセン杯 7 5
ユニバーシアード 1
ネーベルホルン杯 2 1
世界Jr.選手権 8 7 8
全日本Jr.選手権 7 1 1 1
トリグラフトロフィー 1 N

詳細

2005-2006 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ 3
66.02
1
125.32
1
191.34
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 1
68.76
4
118.60
3
187.36
2005年11月17日-20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 3
57.98
2
115.32
3
173.30
2005年11月3日-6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 3
57.56
2
116.04
3
173.60
2005年10月8日 キャンベル国際 - 3
105.86
3
105.86
2005年10月1日 ジャパンインターナショナルチャレンジ2005西東京 - 2
110.87
2
110.87


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 4
25.79
5
59.95
9
99.99
9
185.73
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 1
67.68
棄権 -
2004年12月16日-19日 2004/2005 ISUグランプリファイナル北京 - 2
64.10
4
96.14
2
160.24
2004年11月25日-28日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 3
56.70
3
98.82
2
155.52
2004年11月4日-7日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 - 1
64.20
2
114.86
1
179.06
2004年10月1日 キャンベル国際(セントポール) - - 2 2


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年4月6日 マーシャル国際 - - 2 2
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 1 2 1 1
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 1 4 3
2003年12月12日-14日 2003/2004 ISUグランプリファイナルコロラドスプリングス - 5
53.34
3
114.23
3
167.57
2003年12月5日 国際チャレンジ - - 2 2
2003年11月14日-16日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ - 2
62.34
2
109.78
2
172.12
2003年10月30日-11月2日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ミシサガ) - 3
58.20
2
123.99
2
182.19
2003年10月22日-26日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(レディング) - 2
59.02
3
113.37
3
172.39


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年4月8日 マーシャル国際 - - 7 7
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 4 11 7 8
2003年2月28日-3月2日 2002/2003 ISUグランプリファイナル[※ 4]サンクトペテルブルク - 6 4 4
3
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権北京 - 2 2 2
2003年2月1日-8日 2003年アジア冬季競技大会青森 - 1 1 1
2003年1月16日-26日 ユニバーシアード冬季大会タルヴィージオ - 1 1 1
2002年12月19日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 - 7 2 3
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯京都 - 2 3 3
2002年11月21日-24日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ - 7 4 5
2002年10月19日-20日 関東学生フィギュアスケート選手権 - 1 1 1
2002年10月12日-14日 '02 東京フィギュアスケート選手権(東京 - 1 1 1


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2002年1月22日-27日 2002年四大陸フィギュアスケート選手権全州 2 2 2
2001年12月21日-23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪 2 2 2
2001年11月14日-18日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ 9 4 6
2001年10月24日-28日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカコロラドスプリングス 6 4 4


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2001年2月4日-10日 2001年四大陸フィギュアスケート選手権ソルトレイクシティ 3 7 6
2000年12月8日-10日 第69回全日本フィギュアスケート選手権長野 3 2 2
2000年11月23日-26日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ 9 9 9
2000年11月16日-19日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 6 8 7


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1999年12月24日-26日 第68回全日本フィギュアスケート選手権福岡 2 6 5
1999年12月2日-5日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 5 5 5
1999年11月11日-14日 ISUグランプリシリーズ スパルカッセン杯ゲルゼンキルヒェン 4 6 5


1998-1999 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1999年2月21日-28日 1999年四大陸フィギュアスケート選手権ハリファックス 7 6 6
1999年1月30日-2月6日 1999年アジア冬季競技大会(江原道) 1 2 2
1999年1月15日-17日 第67回全日本フィギュアスケート選手権横浜 1 1 1
1998年12月3日-6日 ISUグランプリシリーズ NHK杯札幌 8 8 8
1998年10月28日-11月1日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカデトロイト 10 9 9


1997-1998 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1998年3月27日-4月5日 1998年世界フィギュアスケート選手権ミネアポリス 7 22 21 22
1998年2月7日-22日 長野オリンピック長野 - 14 14 13
1997年12月26日-28日 アジア選手権 - 1 1 1
1997年12月12日-14日 第66回全日本フィギュアスケート選手権神戸 - 2 1 1
1997年11月27日-30日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯長野 - 6 6 6
1997年10月31日-11月2日 ISUチャンピオンシリーズ スパルカッセン杯ゲルゼンキルヒェン - 8 7 7

プログラム

シーズン SP FS EX
2005-2006[1][6][72] 幻想即興曲
作曲:フレデリック・ショパン
パガニーニの主題による狂詩曲
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:タチアナ・タラソワ
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ
振付:ニコライ・モロゾフ
幻想即興曲
作曲:フレデリック・ショパン
振付:タチアナ・タラソワ
ユー・レイズ・ミー・アップ
ボーカル:ケルティック・ウーマン
振付:タチアナ・タラソワ、荒川静香
2004-2005[73] 蝶々夫人
作曲:ジャコモ・プッチーニ[74]
振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ
ロメオとジュリエット
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ
メモリー
ミュージカル『キャッツ』より
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー

振付:タチアナ・タラソワ、エフゲニー・プラトフ
オペラ座の怪人
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
振付:阿部奈々美
2003-2004[75] 白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー、演奏:クライズラー & カンパニー
振付:ニコライ・モロゾフ
シェルブールの雨傘
作曲:ミシェル・ルグラン
振付:ニコライ・モロゾフ
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ
振付:ニコライ・モロゾフ
イフ・アイ・ハッド・マイ・ウェイ
アルバム『GOLD』より
作曲:フランク・ウィルドーン、ボーカル:リンダ・エダー

振付:佐藤有香
2002-2003[75][76] 白鳥の湖
作曲:ピョートル・チャイコフスキー、演奏:クライズラー & カンパニー
振付:ニコライ・モロゾフ
タイタニック
作曲:ジェイムズ・ホーナー
振付:ニコライ・モロゾフ
シング・シング・シング
作曲:ルイ・プリマ
2001-2002[75] タンゲーラ
作曲:マリアーノ・モーレス
トゥーランドット
作曲:ジャコモ・プッチーニ、演奏:ヴァネッサ・メイ
振付:佐藤久美子
ウィンド・ソング
作曲:ティム・ジャニス
2000-2001 テンペスト[75]
作曲:フリッツ・クライスラー
レッド・ヴァイオリン[77]
作曲:ホアキン・ロドリーゴ、編曲:川井郁子
-
1999-2000 ジャングルファンタジー ジゼル
作曲:アドルフ・アダン
Zのテーマ
(映画「アンツ」より)
1998-1999 セレナーデ
作曲:フランツ・シューベルト
ムーラン
作曲:ジェリー・ゴールドスミス
振付:佐藤有香
-
1997-1998[78] ジャングルファンタジー
振付:トーラー・クランストン
赤いけしの花
作曲:レインゴリト・グリエール
振付:トーラー・クランストン
-
1996-1997 ファニーガール
トースト・オブ・ザ・タウン
ミス・サイゴン
作曲:クロード=ミシェル・シェーンベルク
-
1995-1996 海賊
作曲:リッカルド・ドリゴ
ルッキング・スルー・ジ・アイズ・オブ・ラブ
映画『アイス・キャッスル』より
ボーカル:メリサ・マンチェスター
1994-1995 パリの喜び
天国と地獄
作曲:ジャック・オッフェンバック
-

メディア出演など

テレビ

ラジオ

CM

映画

受賞

栄典

日本オリンピック委員会

その他

出版物

書籍

  • Tira mi su 〜だから私はがんばれる!(角川書店、2006年9月) ISBN 9784048839631
  • 金メダルへの道(日本放送出版協会、2006年9月) ISBN 9784140811269
  • 上村愛子物語・荒川静香物語・本橋麻里物語―Legend of the athlete(集英社、2007年3月2日) ISBN 9784088743691
  • フィギュアスケートを100倍楽しく見る方法(講談社、2009年11月17日) ISBN 9784062157162
  • 15歳の寺子屋 乗り越える力(講談社、2011年5月17日) ISBN 9784062169103
  • 誰も語らなかった 知って感じるフィギュアスケート観戦術(朝日新書、2013年12月13日) ISBN 9784022735379

DVD

  • 荒川静香 Moment〜Beautiful skating〜(ポニーキャニオン、2006年)
  • トリノ2006オリンピック冬季競技大会 フィギュアスケート(ジェネオンエンタテインメント、2006年)
  • スケート靴の約束 〜名古屋女子フィギュア物語〜(ポニーキャニオン、2014年)
  • 花は咲く on ICE 〜荒川静香 羽生結弦〜(NHKエンタープライズ、2015年12月18日)[86]

CD

その他

  • 荒川静香 2007年 カレンダー(トライエックス、2006年) ISBN 9784777432615
  • 荒川静香-2006-メモリアル切手(エバーユアーズ、2006年)
  • 荒川静香監修 フィギュアスケート・ミュージック・コレクション(ビクターエンタテインメント、2009年)

注釈

  1. ^ 一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『ケルティック・ウーマン』の「ユー・レイズ・ミー・アップ」のイタリア語「Tirami su」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。4匹目はアロマが産んだ「ローザ」
  2. ^ 2002年から「コナミスポーツクラブ泉」と改称、経営難のため2004年12月閉鎖。その後、荒川のトリノオリンピック金メダル獲得をきっかけにリンク再開の機運が高まり、宮城県や仙台市の支援もあって、2007年3月「アイスリンク仙台」として再開。
  3. ^ 日本スケート連盟の城田憲子が、2003年暮れに日本を訪れていたアレクセイ・ヤグディンからサーシャ・コーエンとタラソワの離縁を聞きつけ、タラソワの確保に走った。
  4. ^ 2002/2003 ISUグランプリファイナルはフリー演技を2度行った。
  5. ^ 39年間(当時)続く同番組史上初の実在人物の出演でもあった。

出典

  1. ^ a b c 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.18
  2. ^ a b c d 名誉県民・県民栄誉賞(宮城県)
  3. ^ 荒川静香Information
  4. ^ 「氷上のプリンセス」など伊紙が静香絶賛
  5. ^ a b プロフィール(荒川静香オフィシャルウェブサイト)
  6. ^ a b 『応援ブック2006』p.89
  7. ^ 秋のみちのく 郷土の味覚と癒しの湯宿 猪苗代~作並温泉(テレビ東京にっぽん!いい旅」)
  8. ^ 荒川静香が一般男性と誕生日婚 Archived 2013年12月29日, at the Wayback Machine. デイリースポーツ
  9. ^ 荒川静香 一般男性とバースデー婚 スポーツニッポン
  10. ^ 荒川静香、32歳の誕生日婚 Archived 2014年2月2日, at the Wayback Machine. サンケイスポーツ
  11. ^ 荒川静香さんが女の子を出産、デイリースポーツ、2014年11月12日
  12. ^ 荒川静香さん、第1子女児を出産、朝日新聞、2014年11月12日
  13. ^ “荒川静香さん 第2子誕生を発表「親としても更に成長したい」”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2018年5月23日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/05/23/kiji/20180523s00079000114000c.html 2018年5月23日閲覧。 
  14. ^ 仙台に東北初「エクストラコールドBAR」-荒川静香さんが「初つぎ」(仙台経済新聞 2013年5月28日)
  15. ^ テレビ朝日系列『グレートマザー物語』「荒川静香の母~願いを込めた1000個のビーズ~ Archived 2007年11月18日, at the Wayback Machine.」(2004年6月13日放送)、「荒川静香の母〜二人三脚で掴んだ金メダル〜 Archived 2007年11月18日, at the Wayback Machine.」(2006年2月26日放送)に詳しい
  16. ^ “アーカイブされたコピー”. 2014年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月18日閲覧。
  17. ^ ぴーぷる:バックナンバー2001~2011年度早稲田ウィークリー - ぴーぷる - 第1019号 日本フィギュア界の至宝! グランプリファイナル3位
  18. ^ “「しーちゃんと同じ色のメダルを」安藤、2度目の五輪へ”. 朝日新聞 (2009年12月6日). 2022年5月1日閲覧。
  19. ^ My favorite Archived 2013年6月26日, at the Wayback Machine.(荒川静香 公式サイト)
  20. ^ 第67回全日本フィギュアスケート選手権時に会場配布のプログラム
  21. ^ 『応援ブック』p.18
  22. ^ バイクるん 金メダリスト荒川静香さんが乗ってるバイクはBOLTですよ 2016年12月12日閲覧
  23. ^ “荒川静香さん 大型バイクにまたがる10年前の姿に「めちゃカッコイイ」 2児の母、今の愛車も明かす”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年8月2日). https://www.daily.co.jp/general/2023/08/02/0016653054.shtml 2023年8月3日閲覧。 
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  25. ^ 羽生思い出の拠点、アイスリンク仙台リニューアル 荒川ら輩出(スポーツニッポン 2017年12月2日)
  26. ^ 『パーフェクトプログラム』pp.32-33
  27. ^ 荒川静香#その他
  28. ^ a b 『氷上のアーティストたち』p.12
  29. ^ 『氷上のアーティストたち』p.15
  30. ^ a b c 『氷上のアーティストたち』p.17
  31. ^ 『little wings』p.30
  32. ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック』実業之日本社、2004年11月、p.14
  33. ^ 『応援ブック』p.11
  34. ^ 『金メダルへの道』p.134
  35. ^ 『Tira mi su 〜だから私はがんばれる!〜』p.79
  36. ^ 『氷上の光と影』p.25
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  62. ^ 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.46
  63. ^ フジテレビ『教訓のススメ』(ダウンタウン他)2014年10月31日放送回)。
  64. ^ 田村明子著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.110
  65. ^ ショートプログラム - Progression of Highest Score
  66. ^ フリースケーティング - Progression of Highest Score
  67. ^ 合計 - Progression of Highest Score
  68. ^ 2003 スケートカナダ Detailed Scores (pdf)
  69. ^ 2004 NHK杯 Judges Scores (pdf)
  70. ^ 2004世界選手権フリースケーティング Starting Order / Detailed Classification
  71. ^ 夏季オリンピック時代も含めるとアントワープオリンピックマグダ・ユーリンが最年長(25歳276日)
  72. ^ トリノオリンピックを前にプログラム変更。『フィギュアスケートDays vol.0』DAI-X出版、2006年5月、p.78
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  75. ^ a b c d 『little wings』pp.129-130
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  77. ^ 「スタンダードナンバー大比較 アランフェス協奏曲」『フィギュアスケートDays vol.9』ダイエックス出版、2009年4月、pp.54-57
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  79. ^ “鈴鹿央士&Cocomiが音楽番組初MC 時代を超えた名曲に興味津々 博多大吉と“三重奏”進行”. ORICON NEWS (2023年9月30日). 2023年10月9日閲覧。
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  84. ^ 荒川静香選手 杜の都を笑顔でパレード Archived 2010年2月27日, at the Wayback Machine.(「仙台市政だより」 2006年5月号)
  85. ^ “歯が命アワード 荒川静香さん受賞”. 日本歯科新聞 (東京都千代田区: 日本歯科新聞社): p. 1. (2015年8月4日) 
  86. ^ 花は咲く on ICE ~荒川静香 羽生結弦~

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、荒川静香に関連するカテゴリがあります。
  • ウィキニュースに関連記事があります。荒川選手と小泉首相が『トゥーランドット』を鑑賞
  • 荒川静香 オフィシャルウェブサイト
  • 国際スケート連盟による荒川静香のバイオグラフィー(英語)
  • 荒川静香 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • 荒川静香 - Olympic.org (英語)
  • プリンスアイスワールド公式サイト
  • 宮城夢大使
  • smartsleeplibrary ピロートーク
  • 歯が命AWARD2015
  • 荒川静香 (@tiramisu11) - X(旧Twitter)
  • 荒川静香 (@shizukaarakawa) - Instagram
 
世界ランキング1位
男子シングル
女子シングル
ペア
アイスダンス
 
シーズン世界ランキング1位
男子シングル
女子シングル
ペア
アイスダンス
 
シーズンベストスコア1位
男子シングル
女子シングル
ペア
アイスダンス
  • 欧州 男子シングル
  • 欧州 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
  • 世界選 男子シングル
  • 世界選 女子シングル
  • 五輪 男子シングル
  • 五輪 女子シングル
1934年 – 1999年
2000年 –

※ 開催年は年度 1934-65年度は翌年1-4月、1966-81年度は同年11-12月、1982-96年度は翌年1月、1997年度以降は同年12月に開催された。

  • 男子シングル
  • 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
  • ジュニア男子シングル
  • ジュニア女子シングル
2020年NHK杯は非公認大会
  • 男子シングル
  • 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
1932年 – 1999年
2000年 –

開催年は年度

  • 男子シングル
  • 女子シングル
  • ペア
  • アイスダンス
  • ジュニア男子シングル
  • ジュニア女子シングル
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第8回(1991年)

…じゃあ〜りませんか チャーリー浜

第9回(1992年)

「うれしいような、かなしいような」「はだかのおつきあい」 きんさんぎんさん

第10回(1993年)

Jリーグ 川淵三郎(Jリーグチェアマン)

第11回(1994年)

すったもんだがありました 宮沢りえ / イチロー(効果) イチローオリックス・ブルーウェーブ) / 同情するならカネをくれ 安達祐実

第12回(1995年)

無党派 青島幸男東京都知事) / NOMO 野茂英雄ロサンゼルス・ドジャース) / がんばろうKOBE 仰木彬(オリックス・ブルーウェーブ監督)

第13回(1996年)

自分で自分をほめたい 有森裕子(マラソン選手) / 友愛 / 排除の論理 鳩山由紀夫(民主党代表) / メークドラマ 長嶋茂雄読売ジャイアンツ監督)

第14回(1997年)

失楽園(する) 渡辺淳一黒木瞳

第15回(1998年)

ハマの大魔神 佐々木主浩横浜ベイスターズ) / だっちゅーの パイレーツ(お笑い芸人)

第16回(1999年)
第17回(2000年)

おっはー 慎吾ママ / IT革命 木下斉(商店街ネットワーク社長・早稲田大学高等学院三年)

第18回(2001年)

「小泉語録」(米百俵・聖域なき構造改革・恐れず怯まず捉われず・骨太の方針・ワイドショー内閣・改革の「痛み」) 小泉純一郎(内閣総理大臣)

第19回(2002年)

タマちゃん 佐々木裕司(川崎市民)、黒住祐子フジテレビレポーター) / W杯中津江村 坂本休(中津江村・村長)

第20回(2003年)

毒まんじゅう 野中広務(元衆議院議員) / なんでだろ〜 テツandトモ(お笑いグループ) / マニフェスト 北川正恭早稲田大学教授)

第21回(2004年)

チョー気持ちいい 北島康介(競泳選手)

第22回(2005年)

小泉劇場 武部勤自由民主党幹事長)ほか / 想定内(外) 堀江貴文(ライブドア社長)

第23回(2006年)

イナバウアー 荒川静香(プロスケーター) / 品格 藤原正彦(数学者)

第24回(2007年)

(宮崎を)どげんかせんといかん 東国原英夫宮崎県知事) / ハニカミ王子 石川遼(アマチュアゴルフ選手)

第25回(2008年)
第26回(2009年)

政権交代 鳩山由紀夫(内閣総理大臣)

第27回(2010年)

ゲゲゲの -  武良布枝(『ゲゲゲの女房』作者)

※受賞者の役職は当時のもの。
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
JOCスポーツ賞最優秀賞
1990年代

91: 荻原健司河野孝典三ヶ田礼一 • 92: 古賀稔彦 • 93: 浅利純子 •
94: 阿部雅司河野孝典荻原健司荻原次晴 • 95: 田村亮子 •
96: 恵本裕子 • 97: 該当者なし • 98: 船木和喜宮平秀治原田雅彦 • 99: 篠原信一

2000年代
2010年代
2020年代

20: 中止 • 21: 高木美帆 • 22: 橋本大輝 • 23: 北口榛花

芸能
政治
学術
社会経済
文化
音楽
スポーツ
文芸
芸術
特別
記載のない年は選出なし
「社会経済部門」は、2019年まで「経済部門」
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
第13回
第14回
第15回
第16回
第17回
第18回
第19回
第20回
第21回
第22回
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
第38回
第39回
第40回
第41回
第42回
第43回
第44回
第45回
第46回
第47回
第48回
第49回
第50回
第51回
第52回
第53回
第54回
第55回
第56回
第57回
第58回
第59回
第60回
第61回
第62回
第63回
第64回
第65回
第66回
第67回
第68回
第69回
第70回
第71回
第72回
第73回
第74回
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
関連項目:チャリティーマラソン・募金ラン実況アナウンサー
2022
大賞

中島瑞木(coly 代表取締役社長)
中島杏奈(coly 代表取締役副社長)

世界に希望を紡ぐ科学者賞

岩崎明子(米イェール大学医学部 免疫学教授)

理系の新・ロールモデル賞

平澤聡美(東洋合成工業 取締役・感光材事業部長)

思いやり経営賞

藤﨑忍ドムドムフードサービス 代表取締役社長)

子育てダイバーシティ賞

北川聡子(社会福祉法人 麦の子会 理事長・総合施設長)

心の揺らぎサポート賞

櫻本真理(cotree/コーチェット 代表取締役)

途上国の自立支援に貢献賞

田口愛(Mpraeso合同会社 CEO)

循環型社会へのイノベーター賞

坂野晶(一般社団法人ゼロ・ウェイスト・ジャパン 代表理事)

2021
大賞

端羽英子(ビザスク 代表取締役CEO)

受賞

米良はるかREADYFOR 代表取締役CEO)

受賞

尾形優子(メロディ・インターナショナル CEO)

受賞

村本理恵子(ピーステックラボ 代表取締役社長)

受賞

佐野環(キリンホールディングス執行役員、ヘルスサイエンス事業部長)

受賞

山野千枝(一般社団法人ベンチャー型事業承継 代表理事)

受賞

中村有沙(オアシススタイルウェア 代表取締役)

2020
大賞
準大賞

長嶋愛(日本放送協会 ディレクター)

受賞

石川賀代(社会医療法人 石川記念会理事長、石川ヘルスケアグループ 総院長)

受賞

片岡真実森美術館 副館長兼チーフ・キュレーター)

受賞

林有理(大阪府四條畷市 副市長

受賞

平田麻莉(一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事)

受賞

水越由利子(江崎グリコマーケティング本部 ベビー・育児マーケティング部 ブランドマネージャー)

特別賞

近藤麻理恵(片づけコンサルタント)

2019
大賞

中村朱美(minitts 代表取締役)

再出発サポート賞

川口加奈(NPO法人Homedoor 理事長)

新・事業承継モデル賞

丹後佳代(丹後 取締役)

世界の子供を守る賞
ブレイクドラマ制作賞

貴島彩理テレビ朝日総合編成局ドラマ制作部 プロデューサー)

イノベーティブ起業家賞

平野未来(シナモン CEO)

日本を伝えるメディア賞

末松弥奈子ジャパンタイムズ 代表取締役会長)

子育て支援サポート賞

高塚清佳(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)
黄春梅(新生企業投資 インパクト投資チーム シニアディレクター)

特別賞

小平奈緒(スピードスケート選手)

2018
大賞

末延則子(ポーラ 執行役員)

人生100年時代のロールモデル賞

若宮正子(アプリ開発者)

働き方改革サポート賞

和田幸子(タスカジ 代表取締役)

超高齢化社会の希望賞

矢田明子(Community Nurse Company 代表取締役)

共感型プロモーション賞

和気洋子(ヤフー コーポレートコミュニケーション本部 ブランドマネジメント室リーダー)

「アストロウーマン」の道開拓賞

伊藤美樹(アストロスケール 代表取締役社長)

特別賞

中満泉国際連合 事務次長・軍縮担当上級代表)
伊達公子(元プロテニスプレーヤー)

2017
大賞

弭間友子(東宝 映像本部 映像事業部 アニメ事業グループ 宣伝プロデューサー)

デザインものづくり賞

林千晶ロフトワーク 代表取締役)

「ドボジョ」キャリア開拓賞

大西陽子(大林組 海外支店ジャカルタ高架橋工事事務所所長)

食ビジネス革新賞

小林せかい(未来食堂 代表)

イノベーティブものづくり賞

小島由香(FOVE CEO)

子育て家庭応援ビジネス賞

馬場加奈子(サンクラッド 代表取締役)

チーム2017賞

秋山正子(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事・マギーズ東京センター長)
鈴木美穂(NPO法人マギーズ東京 共同代表理事)

2016
大賞

須永珠代トラストバンク 代表取締役社長)

メガヒットメーカー賞

浅井茉莉子(文藝春秋 『文學界』編集部)

次世代ものづくり賞

中澤優子(UPQ CEO 代表取締役)

ベストマーケッター賞

藤原かおり(カルビー マーケティング本部 フルグラ事業部 事業部長)

未来をつくるサイエンティスト賞

髙橋政代(理化学研究所 多細胞システム形成研究センター網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー・眼科医)

情熱経営者賞

石坂典子(石坂産業 代表取締役)

チェンジメーカー賞

村木真紀(特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ 代表)

2015
大賞
準大賞〈リーダー部門〉

玉城絵美(H2L株式会社 チーフリサーチャー)

準大賞〈キャリアクリエイト部門〉

山上遊(LIXIL総合研究所 新事業創造部グローバル環境インフラ研究室 主幹)

入賞〈リーダー部門〉

堀田聰子(独立行政法人 労働政策研究・研修機構 研究員)
森本咲子(ユー・エス・ジェイ マーケティング部プロダクト担当部長)

入賞〈キャリアクリエイト部門〉

大森智子(Go Go Curry USA, Inc. President & CEO)
御手洗瑞子(株式会社気仙沼ニッティング 代表取締役社長)

入賞〈ヒットメーカー部門〉

川村有里(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部 商品企画部 係長)
小林靖子(脚本家)
横手莉加(ライオン株式会社 ヘルス&ホームケア事業本部ビューティケア事業部)

2014
大賞<キャリアクリエイト部門>
準大賞<リーダー部門>

片田江舞子(株式会社東京大学エッジキャピタル パートナー)

準大賞<ヒットメーカー部門>

岩倉暢子日本放送協会 デザインセンター 映像デザイン部)

入賞<リーダー部門>

山田由佳(パナソニック 先端技術研究所 エコマテリアル研究グループ グループマネージャー)

入賞<ヒットメーカー部門>

川上登美子(資生堂 国際事業部 アジアパシフィック営業部)
藤代智春(ピップ 商品開発事業本部 マーケティング部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

坪内知佳(萩大島船団丸 代表)
田中知美(合同会社エッジ 代表 合同会社ドリームオン 代表)
吉田正子(東京海上日動火災保険株式会社 執行役員 旅行業営業部長)

2013
大賞<リーダー部門>

諏訪貴子ダイヤ精機 代表取締役)

準大賞<ヒットメーカー部門>

白井明子(ローソン 広告販促企画部 兼CRM推進部アシスタントマネジャー)

準大賞<リーダー部門>

坪内南(一般財団法人 教育支援グローバル基金 理事・事務局長)

リーダー部門入賞

阿部玲子(オリエンタルコンサルタンツ GC事業本部軌道交通部 部長)
関根近子(資生堂 執行役員 美容統括部長ビューティークリエーション担当、資生堂学園担当)

入賞<ヒットメーカー部門>

稲垣あゆみ(NHN Japan株式会社 ウェブサービス本部 UXデザイン室 UXチーム)
久米さやか(サントリー食品インターナショナル 食品事業本部 食品事業部 ブランド戦略部)

入賞<キャリアクリエイト部門>

遠藤貴子(株式会社つ・い・つ・い 代表取締役)
櫻井千秋(大塚製薬 常務執行役員ニュートラシューティカルズ事業部コスメディクス事業部門担当リーダー)
鮫島弘子(andu amet (アンドゥ アメット) 代表取締役)

2012
大賞

石井美恵子(日本看護協会 看護研修学校 認定看護師教育課程 救急看護学科 主任教員)

準大賞

森本千絵(goen゜主宰 コミュニケーションディレクター アートディレクター)

準大賞

瀬谷ルミ子(特定非営利活動法人 日本紛争予防センター 事務局長)

リーダー部門入賞

野坂千秋(味の素 執行役員 食品事業本部 食品研究所 商品開発センター長)

リーダー部門入賞

服部道江(大林組 新タワー建設工事事務所 副所長)

ヒットメーカー部門入賞

東文恵(アテックス 商品開発部 部長)

ヒットメーカー部門入賞

橋本芙美共同テレビジョン 制作センター第1制作部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門入賞

塚本良江(NTTコミュニケーションズ アプリケーション&コンテンツサービス部 マーケティングソリューション部門 部門長)

ヒットメーカー部門入賞

安田玲美(CRC世研有限公司 総経理)

特別賞
2011
大賞 1位

福島理恵子(東芝 研究開発センターマルチメディアラボラトリー 主任研究員兼エコテクノロジー推進室参事)

2位

大石亜紀子(スタートトゥデイ 取締役(想像戦略室・フルフィルメント本部担当))

3位

清水季子日本銀行 高松支店長)

4位

日置真世(北海道大学大学院教育学研究院附属子ども発達臨床研究センター助手/NPO法人地域生活支援ネットワークサロン理事兼事務局顧問)

5位

屋代浩子(フォルシア 代表取締役社長・最高経営責任者)

6位

五十嵐麻子(飛鳥新社 出版部 第三編集)

7位

青木計世(キューデン・エコソル 常務取締役)

8位

長谷川歩(バンダイ ボーイズトイ事業部 ホビーチーム)

9位

熨斗麻起子(中国・深圳 可宝得環保技術有限公司 総経理)

10位

小林麻美(日本コカ・コーラ マーケティング本部 ウォーターカテゴリーウォーターグループマネジャー)

ヒットメーカー部門

二宮恭子(ポーラ 商品企画部 課長)
仁平知世(東宝 映像本部 映画企画部 プロデューサー)

キャリアクリエイト部門

白木夏子(株式会社HASUNA 株式会社HASUNA 代表取締役)
高橋啓子(米国サンフランシスコのフランス料理店「EL PASEO」エグゼクティブ・シェフ)

2010
大賞 1位<リーダー部門>

西郷真理子(都市計画プランナー/株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク代表取締役)

2位<リーダー部門>

小竹貴子(クックパッド 執行役)

3位<キャリアクリエイト部門>

清村千鶴(ファイザー 執行役員)

4位<リーダー部門>

関西佳子(水間鉄道 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

梶原奈美子(キリンビール マーケティング部 商品開発研究所 新商品開発グループ)

6位<キャリアクリエイト部門>

和崎揚子(日本郵船 経営委員)

7位<リーダー部門>

渡邊智恵子(株式会社アバンティ 代表取締役)

8位<ヒットメーカー部門>

呉裕利子(花王 ファブリック&ホームケア事業ユニット ファブリックケア事業グループ シニア開発マネージャー)

9位<リーダー部門>

高橋泉(KSGグループ CEO)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(松竹 映画宣伝部 宣伝企画室 宣伝プロデューサー)

今年の顔

福島みずほ(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)
湊かなえ(作家)

2009
大賞 1位<ヒットメーカー部門>

白井恵美(ユニクロ 執行役員 商品本部 ウィメンズMD部 部長)

2位<リーダー部門>

石黒不二代ネットイヤーグループ ネットイヤーグループ 代表取締役社長 兼 CEO)

3位<ヒットメーカー部門>

田渕久美子(脚本家)

4位<キャリアクリエイト部門>

神崎夕紀(キリンビール 栃木工場 醸造担当 部長)

5位<キャリアクリエイト部門>

須田久美子(鹿島建設 東京土木支店裏高尾JV工事事務所 副所長)

6位<ヒットメーカー部門>

岡田圭子(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

中橋恵美子(シャープ 健康・環境システム事業本部 調理システム事業部長)

8位<リーダ-部門>

相幸子(三菱UFJ信託銀行 フロンティア戦略企画部 環境室 室長)

9位<リーダー部門>

松浦真弓宇宙航空研究開発機構 JEM運用プロジェトチーム フライトディレクタ)

10位<ヒットメーカー部門>

吉本光里(ワニブックス書籍編集部 主任)

特別賞

上野由岐子2008年北京オリンピック ソフトボール日本代表)

話題賞

勝間和代(経済評論家)

2008
大賞 1位<リーダー部門>

野尻知里テルモ 執行役員 テルモハート社 社長)

2位<リーダー部門>

永谷亜矢子東京ガールズコレクション 実行委員会 チーフプロデューサー)

3位<リーダー部門>

松場登美(石見銀山生活文化研究所 取締役所長)

4位<キャリアクリエイト部門>

小島幸子(クメール アンコール フーズ 代表取締役社長)

5位<ヒットメーカー部門>

海老澤香織(花王 ビューティケア事業ユニット プレミアム・ヘアケアグループ インバスグループ)

6位<ヒットメーカー部門>

中園ミホ(シナリオライター)

7位<リーダー部門>

松村文代(東芝 産業システム社 事業開発推進統括部 課長代理)

8位<リーダ-部門>

吉高まり(三菱UFJ証券 クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会 主任研究員)

9位<ヒットメーカー部門>

遠藤千咲(タカラトミー マーケティング統括本部 ニュープロダクトチーム)

10位<キャリアクリエイト部門>

橘田佳音利(フラジュテリー 代表取締役社長)

特別賞

菊地凛子(女優)

2007
大賞 1位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

2位<リーダー部門>

宮井真千子松下電器産業 クッキング機器ビジネスユニット長)

3位<リーダー部門>

中村利江夢の街創造委員会 代表取締役社長)

4位<キャリアクリエイト部門>

橋本真由美ブックオフコーポレーション 代表取締役社長兼COO)

5位<ヒットメーカー部門>

中川潤子シャープ 情報通信事業本部 通信融合端末事業部 第1商品企画部部長)

6位<リーダー部門>

大石佳能子(株式会社メディヴァ 代表取締役)

7位<キャリアクリエイト部門>

根本かおる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) ネパール・ダマク駐在事務所所長)

8位<リーダ-部門>

清岡久幸(株式会社タケックス・ラボ 代表取締役)

9位<ヒットメーカー部門>

鈴木里佳(三洋電機 パワーグループ モバイルエナジーカンパニー マーケティング部 マーケティング課 主任)

10位<ヒットメーカー部門>

横井千香子(クレディセゾン 取締役クレジット本部副本部長)

特別賞

荒川静香(プロフィギュアスケーター)

2006
大賞 1位<リーダー部門>

木山啓子(インテグレックス NPO法人ジェン(JEN)理事・事務局長)

2位<キャリアクリエイト部門>

林文子ダイエー 代表取締役会長 兼 CEO)

3位<リーダー部門>

秋山咲恵(サキコーポレーション 代表取締役社長)

4位<ヒットメーカー部門>

郡司裕子(新潮社 出版部 文芸第二編集部副編集長)

5位<リーダー部門>
6位<リーダー部門>

南場智子ディー・エヌ・エー 代表取締役社長)

7位<リーダー部門>

秋池玲子産業再生機構 マネージングディレクター)

8位<リーダ-部門>

奥キヌ子( レキオファーマ 代表取締役社長)

9位<ヒットメーカー部門>

平岡利枝(三菱電機 冷蔵庫製造部冷蔵庫先行開発グループマネージャー)

10位<ヒットメーカー部門>

高橋美由紀(日産自動車 マーケティング本部マーケティングダイレクターオフィス マーケティング・ダイレクター)

特別賞

宮里藍(プロゴルファー)

話題賞

中島美嘉(アーティスト)

2005
大賞 1位<リーダー部門>

秋山をね(インテグレックス 代表取締役)

2位<ヒットメーカー部門>

丸田智子国際メディア・コーポレーション 映像事業部 シニアマネージャー)

3位<リーダー部門>

水越洋子(ビッグイシュー日本版 編集長)

4位<リーダー部門>

岩宮陽子(飾一 代表取締役社長)

5位<リーダー部門>

内出幸美(気仙デーサービスセンターグループホーム「ひまわり」総所長)

6位<リーダー部門>

関幸子(まちづくり三鷹 事業部企画事業 グループマネジャー)

7位<リーダー部門>

坂東敬子(ワコール ワコールブランド事業本部 コンフォートプロデューサー)

8位<ヒットメーカー部門>

荒金久美(コーセー 商品開発部部長)

9位<ヒットメーカー部門>

齋藤未来(ナムコ チームナンジャ「自由が丘スイーツフォレスト」ストアディレクター)

10位<キャリアクリエイト部門>

金城祐子(グレイスラム代表取締役社長)

2004
大賞 1位<リーダー部門>

唐木幸子オリンパス ライフサイエンスカンパニーゲノム医療事業推進室グループリーダー)

2位<リーダー部門>

浅川智恵子日本IBM 東京基礎研究所 アクセシビリティーリサーチ グループリーダー)

3位<リーダー部門>

野田由美子(プライスウオーターハウスクーパース・フィナンシャル・アドバイザー・サービス パートナー)

4位<ヒットメーカー部門>

本間絹子電通 コピーライター/CMプランナー)

5位<リーダー部門>

岸谷美穂(ピースウィンズ・ジャパン 海外事業部 前クルド人自治区コーディネーター)

6位<リーダー部門>

名取美和(タイ・チェンマイHIV感染孤児施設「バーンロムサイ」代表)

7位<キャリアクリエイト部門>

新井順子(資生堂[要出典] フランスワイン醸造家)

8位<ヒットメーカー部門>

星野有香(ギャガ・コミュニケーションズ ギャガ・ディストリビューション・カンパニーバイスプレジデント)

9位<ヒットメーカー部門>

井上由美子(脚本家)

10位<今年の顔>

杉山愛(プロテニスプレーヤー)

2003
大賞 1位<リーダー部門>

小川善美インデックス代表取締役社長)

2位<リーダー部門

惣万佳代子(NPO法人このゆびとーまれ代表)

3位<キャリアクリエイト部門>

堀木エリ子(堀木エリ子&アソシエイツ代表 和紙プロデューサー)

4位<ヒットメーカー部門>

池田香代子(翻訳家 口承文芸研究家)

5位<ヒットメーカー/リーダー部門>

加治木紀子(オフィスノア代表取締役)

6位<リーダー部門>

小出寛子(日本リーバ取締役 粧業品マーケティング本部長)

7位<今年の顔>

上原彩子(ピアニスト)

8位<リーダー部門>

飯田桂子(シグノシステムジャパン代表取締役社長)

9位<リーダー部門>

藤井絢子(菜の花プロジェクトネットワーク代表)

10位<今年の顔>

元ちとせ(歌手)

特別賞<今年の顔>

高橋尚子(マラソン選手)

2002
大賞 1位<リーダー部門>
2位<ネット部門>

宮田由美子

3位<リーダー部門>

木山啓子

4位<ヒットメーカー部門>

藪ゆき子

5位<リーダー/ネット部門>

小川義美

6位<ヒットメーカー部門>

中山千恵子

7位<ネット部門>

関根千佳

8位<カルチャー部門>
9位<キャリアクリエイト部門>

森木千津美

10位<カルチャー部門>
2001
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<リーダー部門>
3位<リーダー部門>
4位<脱・事務部門>

池田章子

5位<カルチャー部門>
6位<ネット部門/リーダー部門>

村本理恵子

7位<リーダー部門>
8位<ヒットメーカー部門>
9位<ネット部門>
10位<カルチャー部門>
2000
大賞 1位<ヒットメーカー部門>
2位<キャリア・起業家部門>

筑紫みずえ

3位<ヒットメーカー部門>

渡辺加奈

4位<カルチャー部門>
5位<キャリア・起業家部門>

斉藤裕美

6位<ヒットメーカー部門>
7位<脱・事務部門>

瀬川祐代

8位<カルチャー部門>
9位<キャリア・起業家部門>
10位<ヒットメーカー部門>

川口美也

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