フランク・バイオーラ

フランク・バイオーラ
Frank Viola
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーク州ヘムステッド
生年月日 (1960-04-19) 1960年4月19日(64歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
209 lb =約94.8 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 MLBドラフト2巡目
初出場 1982年7月6日
最終出場 1996年5月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

フランク・ジョン・バイオーラ(Frank John Viola、1960年4月19日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ニューヨーク州ヘムステッド出身。ニックネームは「Sweet Music」。

経歴

1978年のドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから16巡目に指名を受けるが契約せず。

ミネソタ・ツインズ

1981年のドラフトでミネソタ・ツインズから2巡目に指名を受け入団。

1982年6月6日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。8月24日ニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初完封を達成するが、その後6連敗を喫し、4勝10敗・防御率5.21に終わる。

1983年も7勝15敗・防御率5.49に留まった。本拠地メトロドームは本塁打が出やすいこともあり、被本塁打は2年間で56に上った。

1984年に18勝10敗・防御率3.21・4完封を記録し、サイ・ヤング賞の投票で6位に入った。

1985年も18勝を挙げ、エースに成長する。

1987年に17勝10敗・防御率2.90を記録し、チームの17年ぶりの地区優勝に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝を挙げ、22年ぶりのリーグ優勝を果たす。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは3試合に先発して2勝を挙げ、チームは4勝3敗でカージナルスを破ってワシントン・セネタース時代の1924年以来、ミネアポリス移転後初のワールドチャンピオンに輝き、シリーズMVPに選出された。サイ・ヤング賞の投票では6位。

1988年5月1日5月6日ボストン・レッドソックス戦で連続完封勝利。前半戦で9連勝を記録するなど14勝を挙げ、自身初のオールスターゲームに選出され、先発投手を務めた。24勝7敗・防御率2.64の成績で最多勝のタイトルを獲得、サイ・ヤング賞も初受賞した。

1989年は開幕から5連敗を喫するなど不調で、7月31日リック・アギレラケビン・タパーニ、デビッド・ウエスト(後にダイエー)ら5選手との交換トレードでニューヨーク・メッツに移籍。

ニューヨーク・メッツ

移籍後は5勝を挙げ、シーズン通算で13勝17敗・防御率3.66。261イニングと211奪三振は共にキャリアハイとなった。

1990年は開幕から7連勝するなど好調を維持し、2度目のオールスターゲームに出場。20勝12敗・防御率2.67を記録し、サイ・ヤング賞の投票で3位に入った。

1991年は前半戦で10勝を挙げ、2年連続でオールスターゲームに出場するが、後半戦は終盤で7連敗を喫するなど3勝10敗・防御率5.53と不調で、13勝15敗・防御率3.97に留まり、被安打259はリーグ最多だった。オフにフリーエージェントとなる。同年、トレード移籍時の交換相手であるタパーニは先発投手として、アギレラはクローザーとしてツインズのワールドシリーズ制覇に大きく貢献し、メッツにとっては悔やまれる結果となった。

ボストン・レッドソックス

1992年1月2日にレッドソックスと契約。本拠地フェンウェイ・パークは左翼が狭く、伝統的に左投手には不利な球場だが、1年目は13勝12敗・防御率3.44。

1993年は11勝8敗・防御率3.14とまずまずの成績を残した。

1994年は故障で5月3日を最後に戦線離脱。6試合の登板で1勝に終わり、オフにフリーエージェントとなった。

レッドソックス退団後

1995年4月24日トロント・ブルージェイズと契約するが、メジャーでの登板は無く7月25日に解雇。同日シンシナティ・レッズと契約し、3試合に先発するが0勝に終わり、再びフリーエージェントに。

1996年2月22日にブルージェイズと契約するが、シーズン初登板で10失点を喫するなど1勝3敗・防御率7.71と結果を残せず、6月5日に解雇され、そのまま引退した。

投手としての球種はチェンジアップ、カーブ(米書 『guide to pitchers』より)

引退後

引退後はフロリダ州オーランドの学校でコーチを務めたのち、2011年から2018年までニューヨーク・メッツ傘下のマイナー球団で投手コーチを務めた[1][2]

2019年より独立リーグ・アトランティックリーグハイポイント・ロッカーズ(英語版)の投手コーチに就任した[3]

家族

長女ブリタニー・バイオーラは飛込競技選手で、2004年アテネオリンピックのアメリカ代表候補。

息子の同名フランク・バイオーラ・ジュニアはシカゴ・ホワイトソックスのマイナーで父と同じ投手としてプレー。

二女カリー・バイオーラはバレーボールの選手として活躍。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1982 MIN 22 22 3 1 1 4 10 0 -- .286 543 126.0 152 22 38 2 0 84 4 1 77 73 5.21 1.51
1983 35 34 4 0 0 7 15 0 -- .318 949 210.0 242 34 92 7 8 127 6 2 141 128 5.49 1.59
1984 35 35 10 4 1 18 12 0 -- .600 1047 257.2 225 28 73 1 4 149 6 1 101 92 3.21 1.16
1985 36 36 9 0 2 18 14 0 -- .563 1059 250.2 262 26 68 3 2 135 6 2 136 114 4.09 1.32
1986 37 37 7 1 0 16 13 0 -- .552 1053 245.2 257 37 83 0 3 191 12 0 136 123 4.51 1.38
1987 36 36 7 1 0 17 10 0 -- .630 1037 251.2 230 29 66 1 6 197 1 1 91 81 2.90 1.18
1988 35 35 7 2 1 24 7 0 -- .774 1031 255.1 236 20 54 2 3 193 5 1 80 75 2.64 1.14
1989 24 24 7 1 3 8 12 0 -- .400 731 175.2 171 17 47 1 3 138 5 1 80 74 3.79 1.24
NYM 12 12 2 1 2 5 5 0 -- .500 351 85.1 75 5 27 3 1 73 3 0 35 32 3.38 1.20
'89計 36 36 9 2 5 13 17 0 -- .433 1082 261.0 246 22 74 4 4 211 8 1 115 106 3.66 1.23
1990 35 35 7 3 0 20 12 0 -- .625 1016 249.2 227 15 60 2 2 182 11 0 83 74 2.67 1.15
1991 35 35 3 0 0 13 15 0 -- .464 980 231.1 259 25 54 4 1 132 6 1 112 102 3.97 1.35
1992 BOS 35 35 6 1 0 13 12 0 -- .520 999 238.0 214 13 89 4 7 121 12 2 99 91 3.44 1.27
1993 29 29 2 1 0 11 8 0 -- .579 787 183.2 180 12 72 5 6 91 5 0 76 64 3.14 1.37
1994 6 6 0 0 0 1 1 0 -- .500 136 31.0 34 2 17 0 0 9 2 0 17 16 4.65 1.65
1995 CIN 3 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 64 14.1 20 3 3 1 0 4 1 0 11 10 6.28 1.60
1996 TOR 6 6 0 0 0 1 3 0 -- .250 150 30.1 43 6 21 3 2 18 1 0 28 26 7.71 2.11
通算:15年 421 420 74 16 10 176 150 0 -- .540 11933 2836.1 2827 294 864 39 48 1844 86 12 1303 1175 3.73 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 

  • 最多勝利 1回:1988年

表彰・記録

背番号

  • 16 (1982年 - 1989年, 1992年 - 1994年)
  • 26 (1989年)
  • 29 (1990年 - 1991年)
  • 44 (1995年)
  • 19 (1996年)

脚注

  1. ^ “2018 Field Staff Named for Binghamton”. MiLB.com (2018年1月5日). 2021年8月17日閲覧。
  2. ^ “Pitching instructor Viola leaving Mets”. MiLB.com (2018年10月4日). 2021年8月17日閲覧。
  3. ^ “High Point Rockers Name Jamie Keefe Manager, Frank Viola Pitching Coach”. MyCentralJersey.com (2018年11月28日). 2021年8月17日閲覧。

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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獲得タイトル・記録
1956年-1966年
1967年-1969年
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1966年まではナショナルリーグと合わせて1人だけ選出。このテンプレートではアメリカンリーグの選手のみを表記。
アメリカンリーグ最多勝投手
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1940年代
  • 49 ジョー・ペイジ(英語版)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ミネソタ・ツインズ
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
ツインズ球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(3回)
ワールドシリーズ敗退(3回)
リーグ優勝(6回)
傘下マイナーチーム
ミネソタ・ツインズ開幕投手
1900年代
  • 01 ビル・ギャリック
  • 02 アル・オース
  • 03 アル・オース
  • 04 ハイボール・ウィルソン
  • 05 ケイシー・パットン
  • 06 トム・ヒューズ
  • 07 トム・ヒューズ
  • 08 チャーリー・スミス
  • 09 チャーリー・スミス
1910年代
1920年代
1930年代
  • 30 ファーポ・マーベリー
  • 31 ロイド・ブラウン
  • 32 アルバン・クラウダー
  • 33 アルバン・クラウダー
  • 34 アール・ホワイトヒル
  • 35 アール・ホワイトヒル
  • 36 ボボ・ニューサム
  • 37 ジョー・カスカレラ
  • 38 ウェス・フェレル
  • 39 ジミー・デション
1940年代
  • 40 ダッチ・レナード
  • 41 ダッチ・レナード
  • 42 シド・ハドソン
  • 43 ダッチ・レナード
  • 44 ジョニー・ナイジェリング
  • 45 ダッチ・レナード
  • 46 ロジャー・ウルフ
  • 47 アーリー・ウィン
  • 48 アーリー・ウィン
  • 49 レイ・スカボロー
1950年代
  • 50 レイ・スカボロー
  • 51 コンラッド・マレーロ
  • 52 ボブ・ポーターフィールド
  • 53 ボブ・ポーターフィールド
  • 54 チャック・ストッブス
  • 55 ボブ・ポーターフィールド
  • 56 カミロ・パスカル
  • 57 ボブ・チャカレス
  • 58 ペドロ・ラモス
  • 59 ペドロ・ラモス
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ミネソタ・ツインズ 1987年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
04 スティーブ・ロンバードージー
05 ロイ・スモーリー
07 グレッグ・ギャグニー
08 ゲイリー・ガイエティ
09 ジーン・ラーキン
14 ケント・ハーベック
15 ティム・ロードナー
16 フランク・バイオーラシリーズMVP
17 レス・ストレイカー
18 ドン・ベイラー
21 ジョージ・フレイジャー
22 キース・アサートン


24 トム・ブラナンスキー
25 ランディ・ブッシュ
26 アル・ニューマン
27 マーク・デビッドソン
28 バート・ブライレブン
31 ダン・シャッツェダー
32 ダン・グラッデン
33 サル・ブテラ
34 カービー・パケット
36 ジョー・ニークロ
40 フアン・ベレンガー
41 ジェフ・リアドン

監督
10 トム・ケリー

コーチ
06 トニー・オリバ
42 ディック・サッチ
43 リック・ステルメイセク
44 リック・レニック
45 ウェイン・ターウィリガー