パックインミュージック

パックインミュージック
放送期間 1967年7月31日 - 1982年7月31日
放送時間 #放送時間を参照。
放送局 TBSラジオ
ネットワーク JRN系列
パーソナリティ #パーソナリティを参照。
提供 日産自動車松下電器→複数社→TDK→複数社
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ポータル ラジオ

パックインミュージック』(Puck In Music)は、1967年7月31日から1982年7月31日まで、TBSラジオをキーステーションに、JRN系列各局で放送されていた深夜放送ラジオ番組。愛称はパック

番組の歴史

1960年代当時、ニッポン放送が東京地区のラジオ局に先駆けて1963年から、ラジオ関東(現在:アール・エフ・ラジオ日本)が1966年に、さらに、文化放送も1967年4月から終夜放送をそれぞれ実施していた。一方、東京地区で最初に開局したラジオ局である老舗という立場のTBSラジオは、終夜放送を行っておらず出遅れていた[1]中、1967年8月1日未明(7月31日深夜)から終夜放送を行うことになった[1]

1967年春、当時のラジオ局制作現業部に「深夜というラジオのフロンティアに魅力ある番組を開発せよ」という指示が下り、制作現業部の副部長と6人のディレクターからなる企画検討のプロジェクトチームが発足した[1]。やがてプロジェクトチーム内で、企画の話し合いが重ねられたものの、6人のディレクターの考えはかけ離れたものとなった[1]。それでも放送開始日が迫る中で、6人のディレクターのうちの1人・武本宏一が副部長から「企画案をまとめろ。そして企画書を書け」という指示を受け[1]、最終的に『パック』と題された企画書を書き上げた[1]。タイトルは後に『パックインミュージック』に改められ、1967年8月1日未明にスタートした[1]。番組タイトルにある「パック(Puck)」は、ウィリアム・シェイクスピア作の喜劇形式の戯曲『真夏の夜の夢』に登場する森に住む妖精である。真夜中に現れて人々に娯楽を振り撒く魔法をかけ、朝になると姿を消すというキャラクターであり、これが番組のイメージに合っているということから、武本が「深夜にリスナーを魅了する、妖精の様な番組であって欲しい」との思いで名付けた。また、放送開始当初は番組キャラクターとしても「パック」が存在し(声を務めたのは喜多道枝)、毎日サウンドステッカーとして登場した[2]

1969年2月25日、TBSは当時のラジオ本部ラジオ局の機構改革と同時に人事異動を行い、『パックインミュージック』の番組制作チームは、新しく設けられた制作第二部に所属することになった[3]。この時、パックは金曜日の『ナチ・チャコパック』以外の曜日は低迷していて、1969年4月改編をもって、テコ入れを図った[4]。その中で、木曜日担当として北山修がフォークシンガーとしては初めてラジオの深夜番組のパーソナリティを務めた[5]。1969年からは、番組の会報誌「パック・ニュース」を刊行した。

また、この時期には深夜放送ブームが到来しており、ライバル番組であるニッポン放送の『オールナイトニッポン』は着実にネット局を増加させ、逆にパックは関東ローカルの番組に成り下がっていた[6]。そんな中で、1969年5月から、午前3時10分を境に第2部制が設けられることになったが、この第2部には、地方局がネットしやすいように、TBSではCMなしの放送となった(地方局側ではCMを流す時間の間に、TBSではフィラー音楽が流れていた)[7]。それに第2部のパーソナリティには、予算の関係からTBSアナウンサーが起用されることになった[7]。さらに、第1部と第2部の担当ディレクターは同じ人物が兼ねるという方式が取られた[8]

1971年の秋に、放送開始当初からのスポンサーだった日産自動車が降板したことを受け、1972年4月をもって放送開始から設けられていた日曜日(土曜深夜に放送)が廃枠となり、『ヤングタウンTOKYO 桂三枝の深夜営業』が開始された[9]。1972年10月3日の放送分から綜合放送に番組制作を外部委託することになり[9]、このことがきっかけで、当時の木曜日を担当していた吉田拓郎が当時のスタッフが担当を外れるならば「オレも降りる」を言い出してしまったために、『拓郎パック』が終了してしまったという[10]

1981年10月裏の時間帯文化放送ミスDJリクエストパレード』がスタートし、そのわずか2か月後の1981年12月聴取率調査では本番組の各曜日のシェアは『ミスDJ』に対し、金曜日の『ナチ・チャコパック』以外の4曜日で同数または下回るという結果となった(ミスDJリクエストパレード#概要節に掲載の表を参照)[11]。さらに、それと前後して、1981年1月2日(1月1日深夜)に、ニッポン放送が金曜日(木曜深夜)の『ナチ・チャコパック』と同じ時間帯で、ビートたけしを起用した『ビートたけしのオールナイトニッポン』の放送が始まり、『ナチ・チャコパック』は聴取率においても低下傾向となり、TBSラジオは1981年の年末に『パックインミュージック』全体の番組終了を決断した[12]。これについて、当番組発足者の1人で当時編成部に所属していた熊沢敦は「リスナーの低年齢化に大人のリスナーの深夜離れ。深夜放送そのものが曲がり角に来ている。もうやるべきことは全部やったし、15年経ってこれでひと区切り」とし、新しい方向性を模索すると話している[11]。一方、月刊ラジオマガジン(モーターマガジン社)はこのことを「ミスDJに押され、ついに方向転換」と表現している[11]

番組終了2か月前の1982年5月31日には、テレビの『テレポートTBS6』で「パックインミュージックが終了へ」と題されたリポートを放送。その中で、5月28日放送の金曜日『ナチ・チャコパック』第773回の一部を放送、熊沢のインタビューも放送された。なお、この時のCM入り前のジングルは、「テレポート6」のものではなく、当番組のものが流れた[13]。このリポートを企画したのが、一時期、パックインミュージックに関わり、後に、テレポートTBS6のディレクターの小口勝彦で、「(金曜パックには)僕なりの思い入れがあった。あの番組は一つの時代を作った。それが、なんで終わっちゃうの?もったいないじゃないか、という気がした。それで自分の担当する番組で取り上げてもいい、十分なニュース価値もあると思った。」とこのリポートの企画意図について説明している[13]。そして、熊沢はリポートを企画した小口とのインタビューの中で「ヤングの中でも年齢層の高い人達がラジオから、やや離れかけているという状況がちょっとあるわけですよ。今までTBS、それから文化放送、ニッポン放送がほぼ似たようなことをずっとやってきたんですね。そういうことじゃ、これからは、やっぱりいけないんじゃないかと。」と述べた上で「敢えて心を鬼にして、一つのものを終えないと、また新しい一つのものが創れないと。」と終了理由について説明した[13]

そして、それと前後して、TBSラジオが改編による番組終了を発表した際、リスナーが撤回を求め、署名活動が行われた他、1982年6月26日に、清水谷公園から外堀通り経由で六本木三河台公園まで、200人が集まってデモ行進が行われた。この後代表者がTBS本社に出向き、番組終了を決定した代表者である熊沢と面会、抗議の主旨が伝えられた[13]

こうして、1982年8月1日未明(テーブル上は7月31日であり、折しも「パック」の満15周年記念日付の深夜放送であった)に、パック全体の最終回として『さようなら!パックインミュージック』として放送し、この最終回の司会を当時この番組の総合プロデューサーを務めていた林美雄が務め、15年の番組の歴史に終止符を打った[14]

15年間にわたる放送の各種データ[15]
  • パーソナリティー:累計64人(ピンチヒッターや、週替わりスペシャルパーソナリティーも含め100名余)
  • 放送時間:総計11222時間(1日24時間ぶっ続けで聞いたとして1年102日=467日)
  • 投書総数:約1122万通(3928m相当 富士山よりも高い高さとされる)
  • 総放送回数:5611回(日曜日放送分、第2部時代も含む)

放送時間

概説

開始当初から1969年5月10日までは、24時30分から27時までが生放送(「パックにリクエスト」)で、27時から29時は録音番組[注 1]を放送していた。5月12日から、27時台を境にパーソナリティが交代する第2部制となった。

1974年9月からスポンサー企業がついたため、パックインミュージックの第2部は終了。ターゲットを夜中に仕事をしている人向けとした別番組『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』がスタートした[注 2]

放送時間の変遷

  • 1967年7月31日 - 1969年5月10日:月曜 - 土曜24:30 - 29:00
  • 1969年5月12日 - 1970年10月4日:月曜 - 土曜24:30 - 27:10〈第1部〉/27:10 - 29:00〈第2部〉
    番組前半を第1部、後半を第2部に分割。第1部は27時までが生放送で、27時から10分間は録音番組『乾宣夫のマジックピアノ』を放送。
  • 1970年10月6日 - 1972年4月8日:月曜 - 土曜25:00 - 27:00〈第1部〉/27:00 - 29:00〈第2部〉
    『乾宜夫のマジックピアノ』の終了により、第2部の放送時間を10分拡大。27時開始となった。
  • 1972年4月10日 - 1974年8月30日:平日25:00 - 27:00〈第1部〉/27:00 - 29:00〈第2部〉
    土曜日の放送を廃止。以降は平日のみの放送となる。
  • 1974年9月2日 - 1982年7月30日:平日25:00 - 27:00
    第2部の廃止により、放送時間を縮小した。

パーソナリティ

本番組では、放送曜日を月曜日から土曜日(深夜)ではなく火曜日から日曜日(未明)としていた。以下、その原則に従って記す。

第1部

火曜(月曜深夜)

水曜(火曜深夜)

木曜(水曜深夜)

金曜(木曜深夜)

土曜(金曜深夜)

日曜(土曜深夜)

パーソナリティの変遷

期間 火曜
(月曜深夜)
水曜
(火曜深夜)
木曜
(水曜深夜)
金曜
(木曜深夜)
土曜
(金曜深夜)
日曜
(土曜深夜)
1967.8 1968.3 増田貴光
戸川昌子
八城一夫
やまのべもとこ
田中信夫
北浜晴子
野沢那智
白石冬美
なべおさみ
星加ルミ子
矢島正明
今井とも子
1968.4 1968.6 ケン田島
裕圭子
矢島正明
清水恵子
1968.7 1968.9 八城一夫
沢知美
1968.10 1968.12 福田一郎
野村道子
1969.1 1969.3 八城一夫
広川あけみ
1969.4 1969.9 福田一郎
中村律子
八木誠
若山弦蔵
北山修 ロイ・ジェームス
藤田恒美
永六輔
中川久美
1969.10 1970.3 大村麻梨子
1970.4 1970.9 桝井論平
1970.10 1971.3 小島一慶
1971.4 1971.9 愛川欽也 山本コウタロー
1971.10 1972.3 小島一慶 杉田二郎
1972.4 1972.9 吉田拓郎 (放送終了)
1972.10 1974.3 南こうせつ
1974.4 1975.9 小室等
1975.10 1977.9 林美雄 愛川欽也
1977.10 1978.3 林美雄 宮内鎮雄
1978.4 1978.6 西田敏行 宮内鎮雄
1978.7 1978.9 週代わり
1978.10 1979.9 河島英五
1979.10 1980.3 おすぎピーコ 阿部敏郎
1980.4 1981.3 近田春夫 星セント・ルイス
1981.4 1981.9 九十九一
1981.10 1982.7 ばんばひろふみ
兵藤ゆき

横山みゆき

第2部

第2部制になる前の録音番組

1967年7月31日 - 1969年5月10日の月曜 - 土曜27:00 - 29:00の放送。

  • 27:00 - 27:10
    • 乾宣夫のマジックピアノ[注 11]
  • 27:10 - 27:30
    • 牟田悌三のまじめでいこう(1967年7月31日 - 1968年9月)
    • 竹脇無我のヤングマン専科(1968年10月 - 1969年5月10日)
  • 27:30 - 28:00
    • 夜がささやく(1967年7月31日 - 1967年9月)
      • 月曜日・木曜日:水垣洋子
      • 火曜日・金曜日:ジューン・アダムス
      • 水曜日・土曜日:緑魔子
    • ナイト ファンタジー(1967年10月 - 1969年5月10日)
  • 28:00 - 28:30
    • 歌謡曲ララバイ(1967年7月31日 - 1968年9月)
    • あおい輝彦のビートパーティー(1968年10月 - 1969年5月10日)
  • 28:30 - 29:00
    • サンライズ トーキョー(1967年7月31日 - 1967年9月)
    • 朝のダイヤル(1967年10月 - 1969年5月10日)

火曜(月曜深夜)

  • 1969年5月 - 1970年5月:宮内鎮雄[注 12]
  • 1970年5月 - 1971年3月:米沢光規
  • 1971年4月 - 1972年3月:石川顕[注 13]
  • 1972年4月 - 1973年3月:宮内鎮雄[注 14]
  • 1973年4月 - 1973年12月:小林節子
  • 1974年1月 - 1974年9月:広田綾子[注 15]

水曜(火曜深夜)

木曜(水曜深夜)

  • 1969年5月 - 1970年5月:麻生雅子
  • 1970年5月 - 1971年3月:郷司淑子
  • 1971年4月 - 1974年8月:馬場こずえ[注 15]

金曜(木曜深夜)

土曜(金曜深夜)

  • 1969年5月 - 1970年5月:二村義子
  • 1970年5月 - 1970年9月:松永邦久
  • 1970年10月 - 1971年3月:石川顕[注 7]
  • 1971年4月 - 1974年8月:吉田真由美

日曜(土曜深夜)

  • 1969年5月 - 1970年5月:桝井論平[注 20]
  • 1970年5月 - 1972年4月:宮内鎮雄[注 7]

パーソナリティの変遷

期間 火曜
(月曜深夜)
水曜
(火曜深夜)
木曜
(水曜深夜)
金曜
(木曜深夜)
土曜
(金曜深夜)
日曜
(土曜深夜)
1969.5 1970.5 宮内鎮雄 小川哲哉 麻生雅子 遠藤泰子 二村義子 桝井論平
1970.5 1970.6 米沢光規 遠藤泰子 郷司淑子 久米宏 松永邦久 宮内鎮雄
1970.6 1970.9 林美雄
1970.10 1971.3 石川顕
1971.4 1971.6 石川顕 馬場こずえ 吉田真由美
1971.7 1972.3 滝良子
1972.4 1973.3 宮内鎮雄 (放送終了)
1973.4 1973.12 小林節子
1974.1 1974.8 広田綾子

特色・エピソード・主なコーナー

林美雄

  • 林美雄担当の火曜日(初期は金曜第2部→のちに水曜日)は、山崎ハコ、荒井由実、石川セリ、緑魔子、原田芳雄 等の歌手を積極的に紹介。
  • ニュース番組の架空のネタ「苦労多かる ローカルニュース」は人気を集めた。
  • 提供は架空企業の下落合本舗を名乗り、この架空企業の架空製品のCMも放送された。
    • たとえば「豚型湯たんぽブーブーちゃん」など。
  • 水曜日担当時代にはTBSラジオの夜のワイド番組『夜はともだち』の新設に伴い、当時の火曜日担当の小島一慶とともに担当した。
  • 林のニックネームは「ミドリブタ」。オープニングテーマは、ブッカー・T & The MG's の『タイム・イズ・タイト』であった。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「下落合本舗」- パロディCMの案を募集していた。
    • 「B面コーナー」- ヒットしたレコードのA面に隠れた存在のB面の曲を紹介していた[16]
    • 「ユア・ヒットしないパレード」- 「いい曲だけど、何となく消えてしまいそうな曲」を中心に紹介していたコーナーなど。このコーナーをきっかけに、南佳孝の『モンロー・ウォーク』がヒットする現象が生まれた。
  • エンディング テーマは、映画『青春の蹉跌』のテーマ曲(井上堯之)、一時期、映画『フォロー・ミー』のテーマ曲(ジョン・バリー作曲)であった。
    • 2010年、映画『フォロー・ミー』のオリジナル・サウンドトラック国内盤が初CD化された際、映画監督の周防正行が、ミドリブタ・パックを「十代の頃、夢中になって聴いた」などの思いをライナーノーツに記し、オープニング・ナレーション「月夜のブタは恥ずかしい。ずんぐり影が映ってる。がに股足で坂を下り、夜空見上げりゃ、あ、星二つ、ブ、ブー」も紹介した。

愛川欽也

  • 愛川欽也担当の木曜日(初期は水曜日)は、頻繁にゲストがギャラなしで出演する「たなご」があった。常連化していたのはうつみ宮土理黒柳徹子奥山晄伸、永六輔、長谷川きよし など。
  • オープニングは愛川が声優を務めた、アメリカのテレビドラマの主題曲『ルート66』を使用。エンディングは、ジョニー・ピアソン・オーケストラ演奏の『渚のシルエット』をバックに、愛川が、崎南海子の詩を朗読した。
  • 下ネタをオブラートに包んだ投書のコーナーが人気を呼び、「ポール」「テトラ」「パパイヤ」「ジンジロゲ」「タマタマ」「ちびすけサラミ」などの独自の性器の呼び名を生んだ。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「マルキン深夜劇場」- 10分ほどの長さのシナリオを募集し、選ばれたシナリオに基づく劇を愛川が演じた。
    • 「カトリーヌコーナー」- リスナーがカトリーヌとなりマルチェロにラブレターを投稿し、愛川とゲストがこれを朗読するコーナー。基本設定は俳優カトリーヌ・ドヌーブマルチェロ・マストロヤンニBGMとして『パリのめぐり逢い』(フランシス・レイ)などが使用された。
    • 「スタジオH」- 日常の中から「ちょっとエッチに感じられるが、微笑ましい」などの話を募集していた。

野沢那智&白石冬美

  • 野沢那智と白石冬美担当(ナチチャコ コンビ)の金曜日ナチチャコ パック[注 21]は、リスナーからの投書のコーナー「御題拝借(おだいはいしゃく)」[17]を中心に絶大な人気を博し、放送投稿から、『もう一つの別の広場』などの書籍を出版した。エンディングテーマはレイモン・ルフェーブル・オーケストラ演奏の『シバの女王』。
  • その他、以下のコーナーがあった。
    • 「冬美の部屋」- 演劇・コンサート情報の紹介やゲストとトークを行う[17]
    • 「デカメロン」- プロの作家が毎回、読み切りの形で書いた短編オムニバスドラマを放送。各話には毎回、関連性があった。
    • 「クラシックを聴く時間」
    • 「金瓶梅」- 野沢、白石の2人で進行する、少しHなラジオドラマ。
  • 終了後、野沢、白石コンビはニッポン放送の30分番組『もうやめられないナッチャコのおじゃまな関係』で復活した。1985年からは文化放送の平日帯番組に移り、1992年10月2日終了の『いう気リンリン 那智チャコワイド』まで四半世紀に渡りコンビは継続した。

山本コウタロー

  • 恥の上ぬりコーナー
  • たいこめコーナー
  • ファーストキスの思い出コーナー
  • まゆみのくれくれシネマ - 映画評論家の吉田真由美が出演。1回の放送で、3本以上の新作映画を紹介。試写会の告知も行われた。
  • 板さん決定 - 山本コウタローとウィークエンドのメンバーの「板さん」こと、板垣秀雄への手紙を募集。ただし、放送時間に余裕があった場合しか行われなかった。
  • 1976年3月27日(26日深夜)、裏番組である『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、この日臨時に、年度替わりの都合で第1部のMCを務めた山下達郎山下達郎のオールナイトニッポン参照)から突撃電話でリクエストをさせられるというラジオ局をまたいでの競演が行われたことがあった[18]

小島一慶

  • 火パ(カパと読ませる)怒りを込めて振り返れ(日常の不満の発散投稿)
  • マッドマッド クラブ - 経験、経歴、人物そのものなど、あらゆる「ちょっと変わっている」特徴の持ち主を紹介したコーナー。番組公認の「マッド クラブ」が設けられ、投稿が採用された場合は入会が認められた。
  • 火曜歌謡曲 - リクエスト コーナー。リクエスト曲以外には、普通のお便りを書いた投稿が多かった。
  • 「出世もの」シリーズ - 「三橋美智也物語」、「長嶋茂雄物語」などを放送。
  • 飛べ!孫悟空』の番組放送開始に伴い、パックを卒業した。小島はこの異動に対して、ショックを受けたが、最後に「パックに残りたければ残ってもいい」と言われ、憤然として移ったと自ら語っていた。

小室等

  • 音の実験室 - 擬音を3つから4つほど流し、それらを聴いて浮かんだイメージから物語を作っていた。
  • 何かやらなきゃいけない - 小室自身が毎週、何かを考えて行っていたコーナー。洋楽日本語訳し、その場で歌った。ゲストを呼ぶ事もあった。
  • ユイ・小室のパパお早う - 小室の一人娘(こむろゆい)を記録した音源を紹介した。
  • 長い曲を一曲だけ聴くコーナー - 日本のフォークソングを中心に、5分以上という条件でリクエストを受け付け、ノーカットで全て聴くコーナー。

兵藤ゆき

  • パックDE特許
  • 青春の目安箱

西田敏行

  • 珍日本紀行
  • 勝ち抜き田舎合戦!
  • 酔いどれコーナー[17](月間 酔いどれ大賞)
  • ラブサウンズコレクション[17]
  • マラソンクエスチョン'81[17]
  • 即興演奏コーナー - リスナーから送られて来た言葉・フレーズや当時の流行語などに即興でメロディを付けて西田がその場で歌う[16]
  • 俺が学校の先生 - リスナーから自分の学校の面白そうな先生の情報を送ってもらい、それを紹介[16]

河島英五

  • 君の詩にメロディをつけて歌う - リスナーから送られて来た詩に河島本人が作曲してその場で歌う[16]

翔&横山みゆき

  • 翔とみゆきのナンパの傾向と対策
  • タメにならない受験講座
  • 奥さん翔です!
  • 青春を突っ走ろう! - 世間からの批判も構わずに、マイペースで生きるという人々をクローズアップ[19]

九十九一

  • ローカルニュース
  • 青春ラジオドラマ!
  • ああ無情!!
  • クイズ駄洒落でドン!
  • ドイマル・ソケットコーナー
  • ソソリパ
  • ラジオ紙芝居[20]
  • 大きくな~れ、小さくな~れ[20]
  • 新セックス産業をマジメに考える、チャコとボボブラジル
  • 関西弁講座 - 関西弁のうちよく知られた言葉を語呂合わせで全く違った意味の言葉に変えて遊ぶ[21]
  • 九十九一の料理教室 - 様々な変わった料理のアイデアを募集(とても食べられないような料理のアイデアまで来たこともあった)[21]
  • 九十九一入籍発覚の際に、所ジョージ(婚姻届の保証人のひとり)がレポーターの週刊サイタマ梨又として登場、直撃インタビューを行った。

南こうせつ

  • 思い出さんこんにちは

おすぎとピーコ

  • おすぎは、劇場版映画『宇宙戦艦ヤマト』が自分の嗜好[注 22]に合わず、ゲストに宮川泰が来た日の放送は「映画批評を避けよう」とスタジオを抜け出し、深夜の赤坂界隈を放浪。放送終了後、ピーコから「職場放棄」と長時間、説教を受けた。
  • 当時、一般的に知られていなかったバイブをスタジオに持ち込み、女性の自慰について語った事がある。

ネット局

  • 北海道放送(JRN/NRNクロスネット) - 1973年11月[要出典]、ネット開始。1976年6月、月曜日、火曜日のみのネットに縮小[注 23] →10月、自社制作番組を、平日に拡大したため、一時的に、ネットを打ち切った。1年半後の1978年4月より、自社制作番組の廃止のため、ネットを再開したが、1980年3月に、自社制作番組の再開により、ネットを再び打ち切った。その後は最終回まで、ネットの再開はなかった。
  • 青森放送(JRN/NRNクロスネット) - 1971年1月1日ネット開始、1973年6月29日打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 山形放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 新潟放送(JRN/NRNクロスネット) - 1976年打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • 北陸放送(JRNフルネット(当時))[17] - NRNとのクロスネットになっても暫く放送されていたが、1982年3月に、『オールナイトニッポン』に移行。
  • 山陽放送(JRNフルネット(当時))[17]
  • 四国放送(JRN/NRNクロスネット) - 1977年打ち切り。『オールナイトニッポン』に移行。
  • RKB毎日放送(JRNフルネット)[17] - 1974年10月7日ネット開始。
  • 大分放送(JRNフルネット(当時)) - 1978年4月にネット開始したが、翌4月、NRNに加盟した際に『オールナイトニッポン』に移行。
  • 琉球放送(JRNフルネット)[17] - 1974年8月現在はネットされていた[22]


中部日本放送(JRNフルネット)は『オールナイトニッポン』のネットのため、[注 24]JRN / NRNクロスネットのMBSラジオABCラジオは編成の都合で放送しなかった。MBSラジオは自社制作番組『MBSヤングタウン』他、各種番組を放送。『歌うヘッドライト』は同番組開始当初から放送していた。ABCラジオは自社制作番組『ABCヤングリクエスト』を27時まで放送後、翌朝5時まで放送を休止した。その他のクロスネット局は『オールナイトニッポン』をネットしたり、深夜をメンテナンスに当てる兼ね合いで放送しない局が多かった。

スポンサー

番組開始当初は日産自動車一社提供で、CMソング『世界の恋人』のインストバージョンをオープニングテーマとして使用した。矢島正明のオープニングコール[注 25]があり、「日産パックインミュージック。この番組は0時半から朝の5時まで、世界に伸びる日産自動車の提供でお送りします」のアナウンスメントがあった。後に、日産自動車は提供を降板。松下電器(現在:パナソニック)一社提供に変更した。その後は複数社(ペプシコーラ ボトラーズ、富士フイルム 他→TDK一社提供を経て、複数社スポンサー(パーティシペーション)となった。

林が担当していた火曜日→水曜日は「下落合本舗の提供でお送りします」のアナウンスメントをパロディとして放送した。

オープニング テーマ

上掲『世界の恋人』のほか『The now sound』(The Brass Ring 演奏)がある。最晩年は『The now sound』の後に、EPOの『ポップ・ミュージック 2nd.』の第1部[注 26]が流された。

関連番組など

  • 当番組が終了した後の1983年4月から1985年9月まで、日産自動車は深夜枠『NISSANミッドナイトステーション』を提供した。当初は電話リクエスト形式の音楽番組を旬のタレントが日替わりで担当する体裁だったが、後期は「欽ちゃんファミリー」が日替わりで担当するようになった。初期の『SURF&SNOW』も、この番組枠の一部であった。
  • 1989年頃、後番組に当たる『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』において、『ルー大柴のパック・イン・ミュージック』として、約3分間のコーナー番組を放送。オープニングテーマとジングルを使用した。
  • 1992年4月には、当番組の復活を目指した『パックインミュージック21( - トゥエンティーワン)』がスタートしたが、1993年9月に終了した。
  • 2001年4月から2003年3月まで『月刊 愛川欽也 キンキンのパック・イン・ミュージック(げっかん あいかわきんや -)』を放送。愛川、白石がパーソナリティを務めた。放送時間は、毎月第3日曜深夜(月曜未明)2:00 - 5:00。
  • 2001年9月2日(9月1日未明)には、7月に58歳で在職のまま亡くなった林美雄を追悼する『サマー・クリスマス 林美雄・フォー・エバー』が、当時休止枠であった2:00 - 4:00に生放送された。小島一慶を司会に、8月25日開催の同名のお別れ会の模様、および宮内鎮雄小口勝彦(いずれも林と同期入社のアナウンサー。のち小口はニュースデスク)との鼎談を放送した。また、林の没後13周年となる2013年12月27日20:00 - 21:00に「林美雄 空白の3分16秒」と題したドキュメント番組(出演:宮沢章夫、証言:鈴木慶一柳澤健、林文子、梅本満、久米宏、ナレーター:堀井美香)が放送されている。
  • 2001年12月23日には、TBS開局50周年記念特番「50周年だョ! 全員集合」の一環として、『パック・イン・ミュージック リターンズ』が放送された。
  • 2006年12月29日には、『甦る伝説 那智・チャコ・パック(よみがえるでんせつ なち -)』と題して、野沢と白石、当時の番組スタッフで、復活放送が行われた。
  • 2010年11月27日には、野沢の逝去に伴い、追悼特番『野沢那智さん、ラジオでお別れ会』を、白石と山本の担当で生放送。2011年1月8日に再放送された。
  • 2010年12月より、TBSラジオの有料コンテンツサイト「らじこん」にて、『那智・チャコ・パック』最終回の配信が行われていた(遅くとも2015年4月まで)。
  • 2011年12月24日12月25日未明)25:00 - 28:00 には、TBS開局60周年記念特番の一環として、過去の放送音源を放送する『アーカイブスペシャル パック・イン・ミュージック[注 27]』が放送された。宮内鎮雄がパーソナリティを務めた。
  • 2014年3月21日、TBSラジオ主催のイベント『我が青春のパック・イン・ミュージック』を開催。その一環として、3月18日 - 3月21日まで『一慶・チャコのパック・イン ・ミュージック』 を放送[注 28][注 29][注 30]。小島一慶、白石冬美、宮内鎮雄[注 31]がパーソナリティを務めた。『一慶・チャコの…』は2015年7月5日にも放送された。
  • 2015年5月10日には、愛川の逝去に伴い、追悼特番キンキンのラジオが好きだった!』を、小島と白石の担当で生放送。永と大橋巨泉がコメントを寄せた。
  • 2019年1月27日2月3日の2週に渡って、「ラジオアーカイブ」で「ナチチャコ パック」最終回を再放送した。1月27日は前半の1時間、2月3日は後半の1時間を分割して放送。

関連書籍

  • 「パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命」(伊藤友治+TBSラジオ、DU BOOKS、2015年9月、ISBN 490758363X) - 本番組の歴史を綴った本。
  • 「1974年のサマークリスマス 〜林美雄とパックインミュージックの時代〜」(柳澤健集英社、2016年5月、ISBN 4087816109) - 2013年8月より「小説すばる」に連載されたノンフィクション小説。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 10 - 30分程度のフロート番組をまとめて放送するコンプレックス形式。このような体は、のちに1974年から1977年にかけてTBSラジオ(関東ローカル)で放送された『ラジオでこんばんわ』→『5スイート・キャッツ』に引き継がれた。
  2. ^ 火曜第2部担当の広田綾子、水曜第2部担当の滝良子と木曜第2部担当の馬場こずえは、『歌うヘッドライト』にも続投し、パーソナリティを担当した
  3. ^ 1971年3月まで土曜(金曜深夜)担当
  4. ^ a b 水曜(火曜深夜)から移動
  5. ^ 日曜(土曜深夜)2部より昇格
  6. ^ 木曜(水曜深夜)へ移動
  7. ^ a b c 火曜(月曜深夜)へ移動
  8. ^ 1971年10月より火曜(月曜深夜)担当として復帰
  9. ^ 水曜〈火曜深夜〉から移動
  10. ^ 他曜日より一週早く終了し、最終回の1982年7月30日はTBSホールからの公開生放送で終了時点の全パーソナリティ(兵藤ゆきは『ミッドナイト東海』生放送のため電話出演)が集合した特別番組を放送した。歴代パーソナリティから林美雄(特番の進行役も担当)・山本コウタローも出演した。
  11. ^ このコーナーのみ、1970年10月4日まで続いた。
  12. ^ 日曜(土曜深夜)へ移動
  13. ^ 土曜(金曜深夜)から移動
  14. ^ 日曜(土曜深夜)から移動。→1977年10月より水曜(火曜深夜)第1部担当として復帰
  15. ^ a b c 『歌うヘッドライト』へ転出
  16. ^ 金曜(木曜深夜)から移動
  17. ^ 水曜(火曜深夜)へ移動
  18. ^ 結核発病のため、短期間で降板。担当したのは5週だったと『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)2014年3月22日放送分で発言した。
  19. ^ 1975年10月より水曜(火曜深夜)担当として復帰
  20. ^ 水曜(火曜深夜)1部へ移動
  21. ^ 訛ってナッチャコ、または金曜パック、さらに略して金パと呼んだ。
  22. ^ 基本的に日本のアニメは見ないというスタンス
  23. ^ この時期の水、木、金は自社制作番組を放送
  24. ^ ニッポン放送がNRNフルネットの東海ラジオに同番組のネット受けを打診したが、『ミッドナイト東海』を放送中で人気だったために断られた。その後、裏で劣勢を期していた(自社制作番組『CBCビップ・ヤング』を放送)CBCラジオにネット受けを打診。CBCは了承して同番組をネット開始。当番組は東海地区では最後まで、未ネットであった。
  25. ^ 提供クレジットを兼ねる
  26. ^ 「ラジオの…」の箇所で、歌詞の第2部を改変している
  27. ^ 直前までパック・イン・ミュージックの放送が確定しなかったため、『思い出の番組蔵出しスペシャル』という仮題が付けられていた。
  28. ^ 通常は、ナイターオフのワイド番組『MUSIC24/7』を放送。
  29. ^ 放送時間は、20:00 - 22:00。ネット局は、21:00まで。
  30. ^ 山本コウタロー、沢木耕太郎(電話)(3月18日)、永六輔、愛川欽也、奈良岡朋子(電話)(3月19日)、山崎ハコ、伊藤銀次杉真理(3月20日)が、ゲスト出演。
  31. ^ 3月21日のみの出演。小島、白石が『我が青春のパック・イン・ミュージック』出演のため、TBSラジオのスタジオから、宮内がパーソナリティを務めた。『我が青春の…』終了後、小島、白石、小室等、山本コウタロー、兵藤ゆき、山崎ハコがスタジオに駆け付け、宮内とともに番組を進行した。

出典

  1. ^ a b c d e f g 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、39-58頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  2. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、56-59頁。ISBN 978-4-907583-63-7。
  3. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、144頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  4. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、145頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  5. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、160頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  6. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、184頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  7. ^ a b 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、185頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  8. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、189頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  9. ^ a b 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、340頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  10. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、341,353頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  11. ^ a b c 月刊ラジオマガジン 1982年5月号 12 - 15ページ記事「どうなっちゃうの深夜放送…『パーソナリティ最後の日』で大異変」より。
  12. ^ 柳澤健『1974年のサマークリスマス 林美雄とパックインミュージックの時代』集英社、2016年、319-321頁。ISBN 978-4-08-781610-5。 
  13. ^ a b c d パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命(伊藤友治+TBSラジオ 編 DU BOOKS、ディスクユニオン)p.480 - 492 より
  14. ^ 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』ディスクユニオン、2015年、500-503頁。ISBN 978-4-907583-63-7。 
  15. ^ 最終回放送音源
  16. ^ a b c d 明星集英社)1979年9月号『ラジオDJ広場』
  17. ^ a b c d e f g h i ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、73 - 74頁。 
  18. ^ 放送当時の録音
  19. ^ 明星集英社)1981年12月号『MYOJO PAPER RADIO』p.177
  20. ^ a b 明星 1981年6月号 p.155 - 156「MYOJO PAPER RADIO」
  21. ^ a b 明星 1981年9月号「ラジオDJ広場」p.166 - 167
  22. ^ 出典 ランラジオ1974年8月号60ページ琉球放送番組表より

外部リンク

  • もう一度ザッツ・金パテイメント
  • 50周年だョ!全員集合(TBSラジオ公式サイトのアーカイブ)
TBSラジオ 平日24:30 - 25:00
前番組 番組名 次番組
今宵もあなたと
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)
アウトプット
TBSラジオ 平日25:00 - 27:00
今宵もあなたと
(24:30 - 25:30)
放送休止
(25:30 - 29:00)
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)

パックインミュージック第1部
(1969年 - 1974年)

パックインミュージック
(1974年 - 1982年)
TBSラジオ 平日27:00 - 29:00
放送休止
(25:30 - 29:00)
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)

パックインミュージック第2部
(1969年 - 1974年)
TBSラジオ 土曜24:30 - 25:00
今宵もあなたと
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)
アウトプット
TBSラジオ 土曜25:00 - 27:00
今宵もあなたと
(24:30 - 25:30)
放送休止
(25:30 - 29:00)
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)

パックインミュージック第1部
(1969年 - 1972年)
TBSラジオ 土曜27:00 - 29:00
放送休止
(25:30 - 29:00)
パックインミュージック
(1967年 - 1969年)

パックインミュージック第2部
(1969年 - 1972年)
ヤングタウンTOKYO 桂三枝の深夜営業
TBSラジオ 平日夜ワイド番組
月 - 金曜21 - 23時台
火 - 土曜0時台
(月 - 金曜深夜)

パックインミュージック1 - <一時中断> - ラジオでこんばんわ - 5スイート・キャッツ - <一時中断> - 日産MS2(日替わり) - 日産MS そこのけ!電リク60分&ザ・ベスト10(日曜未明のみ)2 - 日産MS ザ・欽グルスショー2(この間日曜未明も) - (日産 → ノルディカ)SURF&SNOW - 岸谷五朗の東京RADIO CLUB(SURF&SNOWを内包) - SURF&SNOW - パックインミュージック21(3:00まで) - ミッドナイトパーティー(3:00まで) - ファンタジーワールド3 - D Chance!(0:30まで)/ファンタジーワールド3 - CLUB EdGE(0:30まで4) - DB(23:30から) - <一時中断> - キャンパスネット24(0:30まで4) - Be@t B@by!!(日替わり) - Junk第1部 - 夜な夜なニュースいぢり X-Radio バツラジ5 - JUNK ZERO - ニュース探究ラジオ Dig・深夜営業 - LINDA!〜今夜はあなたをねらい撃ち〜5 - 荻上チキ・Session-22 Midnight Session - <以降中断>

  • 1: 番組開始時は0:30 - 5:00、1969年10月7日以降は1:00開始
  • 2: 日産MS=NISSANミッドナイトステーション
  • 3: 当初0:00 - 1:00 → 後に0:30 - 1:30に放送
  • 4: 0:30からは日替わり番組
  • 5: 当初火 - 土曜 → 後に火 - 金曜の放送
TBSラジオ 平日深夜ワイド番組
1・2時台
3・4時台

(放送休止) - パックインミュージック - いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜 - (3・4時分割)- Fine!! - CITY CHILL CLUB

 
パーソナリティ関連
ラジオ番組
テレビ番組
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  • カテゴリ 作詞した楽曲
関連人物
関連項目
1 初期のタイトルは『六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい』。
2 39回ゲスト出演。生前最後にも出演した。
3 黛敏郎死去に伴う代役司会(その後武田鉄矢に交代)。
カテゴリ カテゴリ
テレビドラマ

とことんやれ大奮戦!(ナレーター) - 白い牙 - ちんどんどん - フライパンの唄 - いごこち満点 - 九丁目、泣いて笑った交差点女の中の男一匹 - 花神 - 東京メグレ警視 - マー姉ちゃん - ご近所の星 - 見知らぬ恋人 - 気になる天使たち - おやじの台所 - 峠の群像 - だから青春 泣き虫甲子園 - セーラー服反逆同盟 - 実年素人探偵とおんな秘書の名推理 - 街 - 夜の街殺人事件 - ル・マンへ熱き涙を - 一色京太郎事件ノート - はみだし刑事情熱系 - 寺子屋ゆめ指南 - 渡る世間は鬼ばかり - 元禄繚乱 - 空への手紙 - 愛をください - 女優・杏子 - ほんまもん - 新・愛の嵐 - 家族善哉 - 西村京太郎トラベルミステリー - 考古学者シリーズ - 復讐法廷 - 家政婦は見た! - 港古志郎警視 - 税理士楠銀平の事件帳簿

バラエティ番組

おはよう!こどもショー - リブ・ヤング! - クイズオンクイズ!! - シャボン玉こんにちは - 11PM - 23時ショー - ベスト30歌謡曲 - きんきんケロンパ歌謡曲 - きんレモ歌謡曲まいったタヌキの大放送 - きんきんギラギラ大放送 - 歌う新人王決定戦 - 日本民謡大賞 - 日本有線大賞 - 俺たちゃ・なんだい! - 3分勝負15ラウンド - キンキン・祐子のおじゃましまーす - 全日本そっくり大賞 - 欽也のそっくりベスト10 - なるほど!ザ・ワールド - ものまね王座決定戦 - Nationalドキュメンタリー特集 - 人生ゲームハイ&ロー - 超豪華!番組対抗かくし芸 - 変装グランプリ - おもしろ博士クイズ - 笑点 - 水曜ロードショー - ザ・ヒットステージ - クイズ ラブラブジャンプ - FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル - FNS番組対抗NG大賞 - 紅白そっくり大賞 - '88夏休みスペシャル 思い出のアイドルスター大集合in大磯 - 今夜は好奇心! - クイズ日本昔がおもしろい - 愛川欽也の不思議ミステリーツアー - THEプレゼンター - 花嫁するの本当ですか - オールスター100人ビンゴクイズ - 爆裂!異種格闘技TV - 世界ビックリ大賞 - 愛川欽也の探検レストラン - Eat9 - キンキンのとことん好奇心 - 勇者のスタジアム・プロ野球好珍プレー - ニュースの女王決定戦 - 豪華時代劇スター大集合!爆笑大宴会 - 出没!アド街ック天国 - にっぽん名曲の街BEST30 - パックインジャーナル - ニッポン大予想 - バラエティルーツの旅

映画
アニメ
ラジオ番組
親族
関連項目
カテゴリ カテゴリ
シングル

1.イメージの詩 - 2.青春の詩 - 3.今日までそして明日から - 4.結婚しようよ - 5.旅の宿 - 6.おきざりにした悲しみは - 7.伽草子 - 8.金曜日の朝 - 9.シンシア(よしだたくろうかまやつひろし) - 10.となりの町のお嬢さん - 11.明日に向って走れ - 12.たえこMY LOVE - 13.もうすぐ帰るよ - 14.カンパリソーダとフライドポテト - 15.舞姫 - 16.流星 - 17.春を待つ手紙 - 18.あの娘といい気分 - 19.いつか夜の雨が - 20.元気です - 21.サマーピープル - 22.サマータイムブルースが聴こえる - 23.唇をかみしめて - 24.あいつの部屋には男がいる - 25.I'm In Love - 26.旧友再会フォーエバーヤング - 27.ふざけんなよ - 28.風をみたか - 29.ジャスト・ア・RONIN(吉田拓郎・加藤和彦) - 30.すなおになれば - 31.夏休み - 32.落陽 - 33.俺を許してくれ - 34.男達の詩 - 35.友あり - 36.吉田町の唄 - 37.たどり着いたらいつも雨降り - 38.純情(吉田拓郎 & 加藤和彦) - 39.恩師よ/まだ見ぬ朝 - 40.決断の時 - 41.マスターの独り言 - 42.君のスピードで/とんと御無沙汰 - 43.遥かなる - 44.心の破片 - 45.蒼い夏 - 46.気持ちだよ - 47.トワイライト - 48.いくつになっても happy birthday - 49.家へ帰ろう/襟裳岬 - 50.純/流星2003/ホームラン・ブギ2003

配信

That's it やったね - 慕情

アルバム
オリジナル

1.よしだたくろう 青春の詩 - 2.よしだたくろう 人間なんて - 3.元気です。 - 4.伽草子 - 5.今はまだ人生を語らず - 6.明日に向って走れ - 7.ぷらいべえと - 8.大いなる人 - 9.ローリング30 - 10.Shangri-La - 11.アジアの片隅で - 12.無人島で…。 - 13.マラソン - 14.情熱 - 15.FOREVER YOUNG - 16.俺が愛した馬鹿 - 17.サマルカンド・ブルー - 18.MUCH BETTER - 19.ひまわり - 20.176.5 - 21.detente - 22.吉田町の唄 - 23.Long time no see - 24.感度良好 波高し - 25.みんな大好き(吉田拓郎LOVE2 ALL STARS) - 26.Hawaiian Rhapsody - 27.こんにちわ - 28.Oldies - 29.月夜のカヌー - 30.午前中に… - 31.午後の天気 - 32.AGAIN - 33.ah-面白かった

ベスト
エレック

ベスト・コレクション

CBSソニー
Sony Music Direct

よしだたくろう1971〜1975 - 吉田拓郎全集/歌草子 - よしだたくろう ベスト・セレクション - GOLDEN J-POP/THE BEST 吉田拓郎 ONE AND ONLY±1 - LIKE A ROLLING STONE 1970〜1974 - GOLDEN☆BEST よしだたくろう ひきがたり - 吉田拓郎 スーパー・ベスト - GOLDEN☆BEST 吉田拓郎 〜Words&Melodies〜

フォーライフ
FLME
avex trax

From T

ライブ
CD-BOX

Takuro Premium 1971 - 1975 - TAKURO YOSHIDA IN THE BOX

その他

古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう - 真夏の青春 - クリスマス

映像作品

コンサート・イン・つま恋 1975 - '79 篠島アイランドコンサート - '82 日本武道館コンサート 王様達のハイキング - '85 ONE LAST NIGHT in つま恋 - '89 TAKURO YOSHIDA IN BIG EGG - '90 日本武道館コンサート - '93 TRAVELIN' MAN LIVE at NHK STUDIO 101 - 1996年、秋 - 感度良好ナイト in 武道館 - 吉田拓郎 LIVE 〜全部だきしめて〜 - 101st Live 02.10.30 - TAKURO & his BIG GROUP with SEO 2005 Live & His RARE Films - Forever Young Concert in つま恋 2006 (吉田拓郎・かぐや姫) - 歩道橋の上で COUNTRY BACK STAGE DOCUMENT - 吉田拓郎 LIVE 2012 - 吉田拓郎 LIVE 2014 - 吉田拓郎 LIVE 2016

楽曲
テレビ番組
放送中
  • 吉田拓郎YOKOSO(不定期)
過去
ラジオ番組
過去
関連人物

阿木燿子 - 阿久悠 - 梓みちよ - 石川鷹彦 - 石野真子 - 泉谷しげる - 伊勢正三 - 井上陽水 - 忌野清志郎 - 岡本おさみ - 小田和正 - 織田哲郎 - 小倉博和 - 小原礼 - 加藤和彦 - かまやつひろし - 鈴木茂 - 石原信一 - 康珍化 - 喜多条忠 - 後藤次利 - 後藤由多加 - 小室等 - 近藤真彦 - 斎藤ノヴ - 堺正章 - 坂崎幸之助 - 篠原ともえ - 杉田二郎 - 瀬尾一三 - 高中正義 - 高見沢俊彦 - 武田鉄矢 - 武部聡志 - 常富喜雄 - トータス松本 - 中島みゆき - 中西康晴 - 長渕剛 - 中村雅俊 - 浜田省吾 - 松本隆 - 松任谷正隆 - 松任谷由実 - 南沙織 - 南こうせつ - 森進一 - 森山良子 - 安井かずみ - 柳田ヒロ - 山田パンダ - 山本コウタロー - 由紀さおり - 吉田建 - 愛奴 - THE ALFEE - オフコース - かぐや姫 - キャンディーズ - KinKi Kids - 猫 - ザ・モップス - LOVE LOVE ALL STARS - 新六文銭 - 四角佳子 - 浅田美代子 - 森下愛子

関連項目
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シングル

今日は雨 - 愛する人へ - 夏の少女 - 夢一夜 - れくいえむ - 旅立つ想い - 海と君と愛の唄 - 思い出にしてしまえるさ - ときめき - 美映子 - 友ありて - 上海エレジー - 青い旅人 - Bye Bye TYO - ワイルド・ワン - ひとときの別れ - めぐる春 - ゆらめく景色 - Cindy - 渚に消えた涙 - ふたりの物語 - 君が泣いた日 - 北の旅人 - あの日の空よ - 岩を砕く花のように - HARAHARA - 星のデッキにしゃがんで - ありがとう - Alone - 夢の時間 - それを恋人と呼べば - 愛を宿して - あの日から - ひと夏のしずく - 初恋は夢のように - 風のように星のように - わたしの花を咲かせたい - 夕暮れまで - 息子 - あゝ旅の宿 - 国境の風 - たどり着く言葉 - 恋はるか - 二人のラブソディ - からたちの小径 - 微笑みに出会うために

スタジオ・アルバム

かえり道 - ねがい - 今こころのままに - こんな静かな夜 - 旅立てばそこから男 - MY HEART - ひとりごと - SEASIDE STORY - 帰郷 - 僕は緑の風 - 翔びそこねていた君へ - HOME COMING - stela - サマーピクニック - 帰れない季節 - 夢の時間 - フォークソング - 青春の日々 - 心の虹 - 夢の彼方へ - いつか来た道 - ときのしらべ - songs of the best ギターを鳴らせ - 野原の上の雨になるまで - ポロシャツの頃〜青春のとりこぼし〜 - 愛よ急げ - からたちの小径 - いつも歌があった

ライブ・アルバム

グッドヴァイブレーションミスター・こうせつイン武道館 - 南こうせつ ライブ イン ニューヨーク - サマーピクニックフォーエバーinつま恋 - サマーピクニック Love&Peace

ベスト・アルバム

グレイテスト・ヒッツ - 夢のはじまり - 25th Anniversary KOSETSU BEST - songs of the best ギターを鳴らせ - 南こうせつの40曲 - 南こうせつの50曲

その他のアルバム

スーパーベスト20 - ベスト - 全曲集 〜夢一夜〜 - THE BEST - ベスト15 - 全曲集 - ベストヒット - ニューミュージック・ベスト17 - 全曲集 - オール・ザ・ベスト - ベスト35 - ベスト・ヒット16 - かぐや姫メンバーズ大全集 - 南こうせつ セレクション

出演番組
テレビ
ラジオ
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