1931年のル・マン24時間レース
1931年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1930 | 翌年: | 1932 |
1931年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1931 )は、9回目[1]のル・マン24時間レースであり、1931年6月13日から6月14日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
概要
ヨーロッパの経済状況は深刻[2]で、出走したのは26台[1][2][3]に留まった。
メルセデス・ベンツはSSKという超高性能スポーツカーを作り上げ、他のスポーツカーレースで連戦連勝してル・マンに乗り込んで来た[4]。
完走したのは6台[1][3]で、これは2014年のル・マン24時間レースに至るまで史上最小台数記録である。
ハウ卿(Lord Howe )/ヘンリー・バーキン(Henry Birkin )組のアルファロメオ・8C[1]が24時間で3,017.654km[1][2][3][注釈 1]を平均速度125.735km/h[1]または125.37km/h[2]で走って優勝した[1][2]。メルセデス・ベンツ・SSKはありあまる出力が災いしてタイヤの摩耗に悩まされ、2位に終わった[4]。
この頃からドイツではアドルフ・ヒトラーが台頭してグランプリレースに力を入れるようになり、その後援を受けてメルセデス・ベンツやアウトウニオンが我が物顔で走るグランプリレースでは勝ち目がなくなったメーカーがドイツ勢が出場しなくなったル・マンに集まったため、参加台数は減らなかった。
順位 | クラス | 号車 | チーム | ドライバー | シャシ | エンジン | 周回数 |
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1 | 3.0 | 16 | ハウ卿 |
| アルファロメオ・8C2300LM | アルファロメオ 2.3リットル直列8気筒スーパーチャージャー | 184 |
2 | 8.0 | 1 | Boris Ivanowski |
| メルセデス・ベンツ・SSK | メルセデス・ベンツ 7.1リットル直列6気筒スーパーチャージャー | 177 |
3 | 3.0 | 11 | Arthur W. Fox & Charles Nicholl |
| タルボ・AV105 | タルボ 3.0リットル直列6気筒 | 173 |
4 | 5.0 | 9 | Henri Trébort |
| ロレーヌ・ディートリッシュ・B3-6 | ロレーヌ・ディートリッシュ 3.4リットル直列6気筒 | 150 |
5 | 1.5 | 25 | アストンマーティン |
| アストンマーティン・1½インターナショナル | アストンマーティン 1.5リットル直列4気筒 | 139 |
6 | 1.1 | 29 | Yves Giraud-Cabantous |
| Caban Spéciale | ルビー 1.1リットル直列4気筒 | 128 |
注釈
- ^ 総合優勝車の走行距離が3,000kmを超えたのは初めて。
出典
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』p.223「資料1」。
- ^ a b c d e 『ル・マンの英国車』pp.20-21「1931」。
- ^ a b c 『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』pp.298-303。
- ^ a b 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。
参考文献
- 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』グランプリ出版 ISBN 4-87687-161-2
- ドミニク・パスカル著、日沖宗弘訳『ル・マンの英国車』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-068-8
- 黒井尚志『ル・マン 偉大なる草レースの挑戦者たち』集英社 ISBN 4-08-780158-6
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