金仁旭

金仁旭
生誕 1892年5月1日
朝鮮国平安南道龍岡郡
死没 不明
所属組織  大日本帝国陸軍
最終階級 中佐
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金 仁旭(キム・イヌク、김인욱)は、大日本帝国陸軍軍人創氏改名による日本名金海 旭[1][2]

経歴

韓国陸軍武官学校在学中に日本の陸軍幼年学校に編入。1915年5月、陸軍士官学校第27期卒業。歩兵第48連隊に配属[3]。同年12月25日、少尉任官[4]

1919年4月15日、歩兵中尉[5]

1925年8月7日、歩兵大尉[4]。同年9月15日、歩兵第77連隊大隊副官[6]

1927年3月15日、歩兵第77連隊中隊長[7]

1928年、第77連隊第3大隊第9中隊長として第2次山東出兵に参加し、5月から8月まで遼東半島に駐留した[8]

1929年12月10日、歩兵第77連隊附[9]

1932年9月、平安北道江界守備隊第1中隊長として鴨緑江対岸を行き来し、抗日武装部隊に大きな打撃を与えた[8]

1933年3月18日、李王垠御附武官[10]

1934年3月5日、歩兵少佐[4]

1935年8月1日、歩兵第74連隊[4]

1937年6月、第19師団所属で咸鏡道間島一帯で活動していた抗日武装部隊を攻撃。咸鏡南道三水郡の鴨緑江辺に位置する新乫坡鎮から約14キロ以北の密林地帯に集結した金日成崔賢、曺国安連合部隊を恵山鎮部隊を率いて攻撃し、隊員50余名を射殺し、多くの負傷者を出した[8]

1944年10月3日、独立混成第17旅団司令部附から咸興陸軍兵事部課長[11]

1945年3月31日、予備役被仰付[12]。平壌に居住していたところソ連軍に連行され、消息不明[8]

死後は親日反民族行為者に認定された[13]

勲章

  • 勲六等瑞宝章 1928年11月[8]
  • 勲五等瑞宝章 1934年2月[8]
  • 満州国建国功労章 1934年3月[8]

出典

  1. ^ 秦郁彦『日本陸海軍総合事典 第2版』東京大学出版会、2005年、681頁。 
  2. ^ 官報 1940年09月21日14コマ
  3. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.大正6年9月1日調391コマ
  4. ^ a b c d 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和10年9月1日調152コマ
  5. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.大正14年9月1日調243コマ
  6. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.大正15年9月1日調236コマ
  7. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和3年9月1日調234コマ
  8. ^ a b c d e f g 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 561.
  9. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和6年9月1日調184コマ
  10. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和9年9月1日調161コマ
  11. ^ “第206号 昭和19年10月5日 陸軍異動通報” (PDF). アジア歴史資料センター. 2024年7月1日閲覧。7コマ目
  12. ^ “第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報” (PDF). アジア歴史資料センター. 2024年7月1日閲覧。7コマ目
  13. ^ “06년 12월6일 이완용 등 친일반민족행위자 106명 명단 확정 공개” (朝鮮語). 한국일보 (2021年12月6日). 2022年7月25日閲覧。

参考文献

  • 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 1. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-03-2