賀茂宮

賀茂宮
続柄 後水尾天皇第一皇子

出生 元和4年10月5日(1618年11月21日
死去 元和8年10月2日(1622年11月4日)(享年5)
埋葬 二尊院
父親 後水尾天皇
母親 四辻与津子
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賀茂宮(かものみや、元和4年10月5日(1618年11月21日) - 元和8年10月2日(1622年11月4日))は、江戸時代前期の皇族後水尾天皇の第一皇子。母は典侍四辻与津子(お与津御寮人)。同母妹に文智女王がいる。

生涯

後水尾天皇の第一皇子として生まれた。この年には徳川秀忠の娘・和子が入内する予定だったが、賀茂宮の誕生により延期される事となった。また、翌年には梅宮(後の文智女王)が生まれて再び延期となったため、不行跡として母与津子と妹梅宮は宮中より追放させられ、伯父四辻季継・高倉嗣良を含む公卿にも流罪や出仕差し止めの処分が下された(およつ御寮人事件)。このような不祥事があったためか、賀茂宮は一部の系図史料(『本朝皇胤紹運録』など)に掲載がされていない。

その後、賀茂宮は1622年(元和8年)10月2日新暦11月4日)、成人することなく薨去戒名は景雲院諦月英秋。

墓地は京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町の二尊院

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