網岡雄
網岡 雄 あみおか ゆう | |
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生年月日 | 1928年3月22日 |
出生地 | 三重県三重郡菰野町 |
没年月日 | (2011-02-23) 2011年2月23日(82歳没) |
出身校 | 岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学) |
所属政党 | (日本社会党→) 民主党 |
称号 | 従四位 勲三等旭日中綬章 藍綬褒章 |
選挙区 | 旧愛知2区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1983年12月18日 - 1986年6月2日 1990年2月18日 - 1996年9月27日 |
選挙区 | 名古屋市千種区選挙区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1959年4月30日 - 1979年4月29日 |
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網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011年2月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。
経歴
三重県三重郡菰野町出身。1951年、岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)卒業。薬剤師になる[1]。
1959年、愛知県議会議員に名古屋市千種区選挙区から立候補し初当選[2]。以後5期20年県議を務め、日本社会党愛知県本部書記長、副委員長を歴任した。
1979年、第35回衆議院議員総選挙に衆議院旧愛知2区から社会党公認で立候補するが次点で落選。1980年の総選挙も次点で落選。
1983年春の褒章で藍綬褒章受章[3]。同年第37回衆議院議員総選挙において初当選。1986年の総選挙は落選。1990年の総選挙で返り咲く。1993年の総選挙で3期目の当選。
1996年に社会民主党を経て、民主党に参加。同年の第41回総選挙に愛知6区から出馬するも落選した。
2011年2月23日、肺炎で死去[5]。82歳没。死没日をもって従四位に叙される[6][7]。
政策
- 選択的夫婦別姓制度導入に賛同。
脚注
- ^ “前・元薬剤師国会議員の先輩方”. 日本薬剤師政治連盟. 2011年7月9日閲覧。
- ^ 『愛知県議会史 第十巻』愛知県議会、1983年3月15日、427頁。
- ^ 『官報』号外第29号26-30頁 昭和58年4月30日号
- ^ 『官報』号外第86号54頁 平成10年4月30日号
- ^ “網岡雄・元衆院議員が死去”. 日本経済新聞. (2011年2月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2306T_T20C11A2CC1000/ 2018年7月10日閲覧。
- ^ “叙位叙勲”. 日本経済新聞. (2011年3月11日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1106C_R10C11A3CR8000/ 2023年9月13日閲覧。
- ^ 『官報』第5519号11-12頁 平成23年3月22日号