浅井博

浅井 博(あさい ひろし、1907年9月13日[1] - 2008年4月3日[2])は、日本実業家ヒガシマル醬油社長。

来歴

兵庫県揖保郡龍野町(のち龍野市、現・たつの市)生まれ。名古屋の旧制第八高等学校を経て[1]1931年東京帝国大学経済学部を卒業する[1]。卒業後は浅井醤油に入る。1942年、浅井醤油は合併で龍野醤油となり、取締役に就任する[1]。その後、専務、副社長を経て、1963年、社長に就任する[1]。翌年、龍野醤油をヒガシマル醬油に改称する[1]。会長、名誉会長を経て、1998年、相談役となる[1]。また、龍野市議会議員、同議長[3]、龍野商工会議所会頭、龍野観光協会会長、日本醤油協会会長などを務めた[1]。2008年4月3日死去。

栄典

脚注

  1. ^ a b c d e f g h ヘルシー企業の顔:ヒガシマル醬油・浅井博相談役-日本食糧新聞電子版 1999年9月10日 48号 12面2021年11月14日閲覧。
  2. ^ 淺井博氏(ヒガシマル醤油相談役)3日死去 2008.04.11 9973号 2面2021年11月14日閲覧。
  3. ^ 『出身県別 現代人物事典 西日本版』568頁。

参考文献

  • 『出身県別 現代人物事典 西日本版』株式会社サン・データ・システム、1981年。