柏まゆみ

かしわ まゆみ
柏 まゆみ
本名 持田 和代(もちだ かずよ)
別名義 持田 和代
生年月日 (1935-01-09) 1935年1月9日
没年月日 1985年6月
出生地 日本の旗 日本 栃木県足利市
職業女優、元女性声優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇トーキー)、テレビ映画ラジオドラマ
活動期間 1953年 - 1960年代
配偶者 平凡太郎
主な作品
幽霊男
『浮雲』
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柏 まゆみ(かしわ まゆみ、1935年1月9日[1] - 1985年6月[2])は、日本の元女優、元女性声優である[3][4]。本名・旧芸名は持田 和代(もちだ かずよ)[3][4]

来歴・人物

1935年(昭和10年)1月9日栃木県足利市に生まれる[3][4]

栃木県立足利女子高等学校(2022年統廃合)卒業後、女優を志し、1953年(昭和28年)に東宝ニューフェイス第5期生として東宝に入社[3][4]。本名の「持田 和代」を名乗り、1954年(昭和29年)10月13日に公開された小田基義監督映画『幽霊男』などに出演していたが、ほとんどが脇役・端役で役柄に恵まれず、1955年(昭和30年)に退社した[3][4]

退社後は映画界を離れ、こだまの会[3][4]、テレビ8プロダクション[5]グループりんどう[1]などに所属、テレビラジオの女優として活動する。芸名も「柏 まゆみ」と改名し、1955年(昭和30年)8月6日から1960年(昭和35年)1月30日まで放映されていた日本テレビ系列のテレビドラマ『轟先生』や、翌々1957年(昭和32年)11月7日から同年12月26日まで放映されていたNHK総合のテレビドラマ『あわれ人妻』など、1960年代にかけてジャンルを問わず多くの作品に出演していたが、間もなく芸能界を引退した[3][4]

1985年(昭和60年)6月、病死した[2]。満50歳没。

夫は喜劇俳優平凡太郎[2][6]。柏の死後、平は1988年(昭和63年)に一般女性と再婚している[2]

出演作品

映画

  • ひまわり娘(1953年)
  • トービジョン 飛び出した日曜日(1953年)
  • 青色革命(1953年) - レジスター
  • お母さんの結婚(1953年)
  • 亭主の祭典(1953年)
  • 天晴れ一番手柄 青春銭形平次(1953年)
  • 花の中の娘たち(1953年) - すみ子(メイド)
  • 赤線基地(1953年) - キャンプのバスの乗客
  • 次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家(1953年)
  • 伊津子とその母(1954年)
  • 水着の花嫁(1954年)
  • 君死に給うことなかれ(1954年) - 若い看護婦
  • 幽霊男(1954年) - 武智マリ
  • 潮騒(1954年)
  • ゴジラ(1954年) - 看護婦 ※ノンクレジット[7]
  • 浮雲(1955年) - 鹿児島の旅館の女中[3][4]
  • 雪の炎(1955年) - 若い女
  • 麦笛(1955年)
  • 33号車応答なし(1955年) - 相手の女(バー)
  • 芸者小夏 ひとり寝る夜の小夏(1955年) - 町子(女店員)

テレビドラマ

ラジオドラマ

  • 八十日間世界一周(1957年、NHK東京)[3][4]

ほか

脚注

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  1. ^ a b 『出演者名簿』《昭和36年度版》日本著作権協議会、1961年、94頁。 
  2. ^ a b c d 『日本映画人名事典 男優篇 下巻』キネマ旬報社、1996年、18頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『テレビ大鑑』キネマ旬報社、1958年、105頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i 『文化人名録 昭和34年版』日本著作権協議会、1959年、881頁。 
  5. ^ 『キネマ旬報年鑑 昭和36・37年版』キネマ旬報社、1961年、333頁。 
  6. ^ 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、309頁。 
  7. ^ 『東宝特撮映画全史』東宝株式会社、1983年、535頁。 

関連項目

外部リンク

持田和代に関するカテゴリ:
  • 東宝の俳優