板倉勝任

曖昧さ回避 板倉勝殷の養子で旧安中藩主板倉家当主・華族の板倉勝任とは異なります。
 
凡例
板倉勝任
時代 江戸時代中期
生誕 元文元年12月16日(1737年1月16日
死没 明和3年7月7日(1766年8月12日
墓所 西尾市長圓寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治
陸奥福島藩
氏族 板倉氏
父母 板倉勝里相馬昌胤娘・辰
兄弟 勝承勝任、渡辺寛綱、板倉勝延正室
勝行一柳末英正室
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板倉 勝任(いたくら かつとう)は、江戸時代中期の大名陸奥国福島藩5代藩主。重昌流板倉家第8代。

略歴

板倉勝里の次男として誕生した。

明和2年(1765年)、兄・勝承の死により家督を相続したが、翌明和3年(1766年)に死去した。正室、実子はなし。任官前に死去している。

板倉勝任の墓(西尾市長圓寺)

歌人であり「板倉勝任詠草」を遺した。本家筋にあたる備中国松山藩主・板倉勝澄の四男の勝行が養子となり跡を継いだ。

系譜

父母

養子女

板倉家福島藩5代藩主 (1765年 - 1766年)
本多家
堀田家
板倉家
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