捨 (仏教)
仏教用語 捨, ウペッカー | |
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パーリ語 | उपेक्खा (upekkhā) |
サンスクリット語 | उपेक्षा (upekṣā) |
日本語 | 捨 (ローマ字: Sha) |
英語 | Equanimity |
クメール語 | ឧបេក្ខា (Upekkha) |
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仏教用語の捨(しゃ)とは、パーリ語のウペッカー(巴: upekkhā、 梵: upekṣā: ウペークシャー, 英: equanimity)に由来し、楽でも苦でもない不苦不楽の感覚状態(ヴェダナー)[1]。心の平静。かたよりのないこと[2]。心が平等で苦楽に傾かないこと[3]。
- 説一切有部の五位七十五法のうち、大善地法の一つ。唯識学の五位百法のうち、善心所の一つ[3]。
- 四無量心(四梵住:慈・悲・喜・捨」の一つ[3]。
- 七覚支(択法、精進、喜、軽安、捨、定、念)の一つ[3]。
- 三受(苦、楽、捨(不苦不楽))の一つ[3][1]。
慈愛の瞑想
上座部仏教(テーラワーダ仏教)圏では、ウィパッサナーの基礎として、慈愛の瞑想(mettā bhāvanā, 慈悲の瞑想とも)と呼ばれる瞑想が行われる[4]。これは名称としては「慈」(慈愛,メッター)のみが前面に出て来るが、内容的には四無量心の「慈・悲・喜・捨」全ての要素が含まれており[5]、「捨」の要素も含まれている。
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老によると、「捨」は「感情の波が立たない」平静な心であるが、それは「鈍感で、何も興味がない、気にしない、無関心、閉鎖的で自分の世界にだけ閉じこもっている」ということではなく、「人々・生命のことを、(直情的に反応するのではなく)どうすれば問題解決できる(できた)かを智慧を以て見守る気持ちで観る」ことだという[6]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『Power up Your Life 力強く生きるためにブッダが説いたカルマの法則』(Kindle)サンガ、2014年、No.319/359。ISBN 978-4904507230。
- ^ 櫻部・上山 2006, p. 114.
- ^ a b c d e 岩波仏教辞典 1989, p. 375.
- ^ ウ・ジョーティカ 『自由への旅』 魚川祐司訳、新潮社、2016年12月、pp.121-124。
- ^ 慈悲喜捨の冥想 - 日本テーラワーダ仏教協会
- ^ 慈悲の冥想とヴィパッサナーの道筋 - 日本テーラワーダ仏教協会
参考文献
- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 櫻部建、上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1。 (初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
関連項目
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四念処(四念住) | 身念処 | 受念処 | 心念処 | 法念処 | ![]() |
四正勤(四正断) | 断断 | 律儀断 | 随護断 | 修断 | |
四神足(四如意足) | 欲神足(欲如意足) | 精進神足(精進如意足・進如意足) | 心神足(心如意足・念如意足) | 観神足(観如意足・思惟如意足・慧如意足) | |
五根 | ||
五力 | ||
七覚支(七菩提分) | 念覚支 | 択法覚支 | 精進覚支 | 喜覚支 | 軽安覚支 | 定覚支 | 捨覚支 | |
八正道(八聖道) | ||
解脱への道 - ウィキポータル 仏教 |
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