岡州

岡州(こうしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の広東省江門市一帯に設置された。

概要

590年開皇10年)、隋により新会郡が廃止されて、封州が立てられた。新会郡の属県であった盆允・永昌・新建・熙潭・化召・懐集の6県は新会県に統合された。591年(開皇11年)、封州は允州と改称された。593年(開皇13年)、允州は岡州と改められた。岡州は新会・義寧封平封楽の4県を管轄した。605年大業元年)、岡州は廃止されて管轄県は番州に統合され、封平・封楽の2県は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、番州は南海郡と改称された[1]

621年武徳4年)、蕭銑を平定すると、隋の南海郡新会県の地に岡州が置かれた。岡州は新会・義寧・封平の3県を管轄した。639年(貞観13年)、岡州はひとたび廃止されたが、同年のうちに再び立てられた。742年(天宝元年)、岡州は義寧郡と改称された。758年(乾元元年)、義寧郡は岡州の称にもどされた。岡州は嶺南道に属し、新会・義寧の2県を管轄した[2]805年(貞元21年)、岡州は廃止された。

脚注

  1. ^ 隋書』地理志下
  2. ^ 旧唐書』地理志四
隋朝の行政区分
 
606年大業2年)以前(州制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
 
607年大業3年)以後(郡制)
雍州地区
梁州地区
豫州地区
兗州地区
冀州地区
青州地区
徐州地区
揚州地区
荊州地区
唐朝の行政区分 (740年 開元28年)
京畿
関内道
都畿道
河南道
河東道
河北道
山南西道
山南東道
淮南道
江南東道
江南西道
隴右道
河西道
剣南道
黔中道
嶺南道