大竹寛

大竹 寛
読売ジャイアンツ 二軍投手コーチ #72
読売ジャイアンツ選手時代
(2014年 東京ドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県八潮市
生年月日 (1983-05-21) 1983年5月21日(41歳)
身長
体重
184 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト1巡目
初出場 2003年9月26日
最終出場 2021年10月24日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 読売ジャイアンツ (2022 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
プレミア12 2019年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
日本の旗 日本
WBSCプレミア12
2019

大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、プロ野球コーチ

経歴

プロ入り前

浦和学院高2年夏に全国選手権に出場したものの2回戦で敗退。当時は1学年上の坂元弥太郎がエースだったため、登板機会なし。2年秋の関東大会からエースになるが水戸商業に初戦敗退。3年春は埼玉県大会で東農大三高に惜敗。3年夏の埼玉大会では春日部共栄に9回表二死まで3-1とリードしていたが、味方のエラーで逆転され埼玉大会ベスト8にとどまった。また、日本代表としてアジアAAA選手権に出場した。

2001年度プロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから1巡目指名を受けて入団。背番号は17

広島時代

広島時代の大竹(2009年)

2002年、故障により一軍登板はなかったが、2003年に一軍初登板、初勝利を記録した。

2004年は開幕直後は先発ローテーションの一角として5試合に先発したが中継ぎに回り、永川勝浩の不調によりシーズン途中から抑えに指名された。43試合に登板して防御率3.18、17セーブ。

2005年、先発ローテに定着し、リーグ最多の先発登板28試合、防御率5点台ながら自身初となる2桁勝利、奪三振率はリーグ最高。しかし、与四球ボーク暴投失点自責点のワースト5冠となり、リーグ13年ぶりの失点が100を超えた投手となる。

2006年、開幕から6連敗。9月5日の対横浜戦(長崎)では、8回二死まで1人の走者も許さなかったが、内川聖一に左前安打を打たれ完全試合を逃し、9回二死から石井琢朗にソロ本塁打を打たれるが、自身2年ぶりとなる完投勝利。シーズン全体ではリーグワーストの13敗、被本塁打25。

2007年はワインドアップのフォームに戻し、新たにシュートを習得する。開幕前に「勝てる投手への脱皮」を宣言するが、5月には5連敗。9月23日の対中日戦(ナゴヤドーム)でプロ入り初の完封勝利。シーズン通算で9勝、3年連続で規定投球回到達。

2008年、3月28日の開幕戦で初の開幕投手を任されるが、相手先発の川上憲伸にソロ本塁打を打たれ、結局8回を4安打1失点で勝敗つかず、前半戦は5勝10敗。7月31日のオールスターに同僚のルイスの代役で初出場、2回2安打無失点[注 1]。後半戦はチームで唯一ローテーションを守って4年連続の規定投球回に到達し、最終的に9勝12敗。

2009年、新たに覚えたチェンジアップを武器に4月28日の対巨人戦で開幕初完封・初勝利[1]。この試合から5月31日の対楽天戦6回途中までセ・リーグ歴代6位となる43イニング連続無失点を記録し、佐々岡真司の持つ30イニング連続無失点の球団記録を更新。5月は月間4勝0敗、防御率0.51の成績で、自身初となる月間MVPを受賞した[注 2]。前半戦を6勝4敗で、ファン投票、選手間投票ともに1位でオールスターに選出、地元広島で開催された第2戦で先発する。10月10日のチーム最終戦である巨人戦でプロ入り初の無四球完封、4年ぶりに10勝に到達[注 3]。同年、巨人戦での完封勝利は大竹の2回の他には横浜のスティーブン・ランドルフが1回あるのみだった。防御率2.81、投球回185.2。

2010年、春季キャンプ中の2月15日に自己最多の270球の投げ込みを行って右肩に違和感を生じたため[2]、一軍昇格は6月1日となり、同月12日の対埼玉西武ライオンズ戦でシーズン初勝利[3]。同月26日に右臀部肉離れで出場選手登録抹消され、右肩痛の再発もあってシーズンの残りを二軍で終えた[4]。3試合登板で1勝、5年連続で続いていた規定投球回数到達も途切れた。

2011年、3月28日のウエスタン・リーグで9か月ぶりに対外試合に登板した。5月21日の対オリックス戦で1年ぶりに登板[5]。同月28日の対日ハム戦で稲葉篤紀の打球を右手に受け途中降板、右手小指の粉砕骨折と診断される[6]。10月1日の対巨人戦で約4か月ぶりに復帰し、同月23日の対阪神戦で1年4か月ぶりの勝利投手となり、最終的に6試合登板で1勝1敗[7]

2012年、5月12日の対中日戦では右肩故障以降最多の128球を投げ、6月5日の対日本ハム戦で通算1000投球回を達成した[8]。前半戦を6連勝で監督推薦で3年ぶりのオールスター出場。自身最多の11勝を挙げ、2年ぶりに規定投球回数に到達し、セ・リーグでは平野恵一以来4年ぶりのカムバック賞を受賞した[9]。オフの「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出され、2試合3回無失点[10][11]。同年1月にNHK静岡キャスター光部杏里と結婚することを発表し12月に挙式[12][13]

2013年4月14日に国内FA権を取得[14]。監督推薦で出場したオールスターゲームでは[15]第3戦で3回を1安打無失点に抑え敢闘賞を受賞[16]。9月30日の対巨人戦で2年連続の10勝、チームでは26年ぶりに2桁勝利投手が4人出た[17]。10月16日、巨人とのクライマックスシリーズの初戦(東京ドーム)で先発し、6回4安打2失点で同点のまま降板し、その後チームは逆転負けで大竹に勝ち負けはつかず[18]。オフの11月12日に国内FA権の行使を表明[19]

巨人時代

2013年11月25日に読売ジャイアンツへの入団を表明し[20]、12月5日に入団会見を開いた。背番号は広島時代と同じ17に決まり、「背番号くらい勝てるように頑張ります」と宣言した[21]。推定総額5億円の3年契約となった[22]

2014年、3月30日の対阪神戦(東京ドーム)で移籍後初登板で先発、7回途中を2失点として、打っては自身初の1試合3安打で試合は12対3で勝利し、移籍後初勝利を挙げた[23]。4月26日の対広島戦(マツダスタジアム)では5回0/3を投げて4失点だったが味方打線の援護に助けられ、試合は11対5で勝利し大竹が勝利投手となり、NPB史上15人目の全球団勝利を達成した[24]。シーズン通しては中日から1人で6勝を挙げ同カードでの勝ち越しに大きく貢献した。9月初旬に右肩を痛め戦線を離脱し規定投球回には到達できず阪神とのCSでも登板はなかった。一軍での最終成績は9勝6敗で、自身にとって初となるチームのリーグ優勝に貢献した。

2015年は不振でシーズン中盤の3か月間二軍落ちし、一軍成績は3勝4敗だった。

2016年は、キャンプで肉離れを発症し出遅れ、シーズン初登板は5月26日の広島戦となる。6月2日のオリックス戦で初勝利し、先発ローテを守り続け、7月30日のヤクルト戦では通算1500投球回を達成。8月20日の阪神戦では2009年以来となる7年ぶりに1試合2桁奪三振(10三振)。また9月28日の中日戦では8年ぶりとなるリリーフ登板をする。投球回は2年続けて100回を下回る。一軍での最終成績は6勝6敗だった。3年契約が終了し、推定年俸7000万円で契約を更改した[25]

2017年は、開幕3戦目の中日戦に先発して初勝利、5月上旬までに4勝するが、8月6日の中日戦での6回途中4失点の登板以降、一軍登板がないまま終わる。一軍成績は4勝4敗だった。オフに、1750万円減の推定年俸5250万円で契約を更改した[26]

2018年は、4月の初登板の中日戦では先発して白星を挙げたものの、次週のDeNA戦で初回に2本の本塁打を打たれるなど5失点を喫し負け投手になると二軍降格し、以降二軍では先発投手としてローテを守り9勝を挙げたものの、一軍昇格はなくシーズンを終えた。一軍成績は1勝1敗だった。本人としても「クビを覚悟していた」状況であったが、減額制限越えの50%ダウンとなる推定年俸2625万円で契約を更改した[27]

2019年は、6月30日のヤクルト戦で、中継ぎ登板し、シーズン初勝利した[28]。8月12日の広島戦で中継ぎ登板し、勝利投手になり、シーズン3勝目を挙げた。これにより、プロ通算100勝を達成した[29]。最終的な一軍成績は32登板、4勝0敗8ホールド、防御率2.77で自身2度目のリーグ優勝に貢献した。阪神とのクライマックスシリーズファイナルステージでは中継ぎで3登板し、3回2/3を投げ無失点の防御率0.00で1勝0敗1ホールドだった。初の日本シリーズ(福岡ソフトバンクホークス戦)でも中継ぎ登板したが味方の失策が絡みアウトを取れず3失点(自責2)し1登板0.0回を投げ0勝1敗で終えた。オフには、ENEOS侍ジャパンシリーズ2019「日本VSカナダ」及び第2回WBSCプレミア12日本代表に追加選手として選出された。プレミア12では3登板で2回無失点防御率0.00の成績で日本代表の優勝に貢献し、自身初の国際大会での優勝を経験した[30]。オフには、2375万円増の推定年俸5000万円で契約を更改した[31]

2020年、7月19日のDeNA戦に1点ビハインドの8回から登板し直後の9回に味方が3点を挙げ逆転しシーズン初勝利を挙げた。主に7・8回の勝ち試合のリリーフを担当し、終盤は二軍調整になった。成績は29登板、1勝2敗16ホールド、防御率2.59で、自身3度目のチームのリーグ優勝に貢献、2020年の日本シリーズでも2試合に登板した。オフには、500万円減の推定年俸4500万円で契約を更改した[32]

2021年は開幕一軍に選ばれるものの、右膝の状態が悪くシーズン途中で一軍から離脱[33][34]、リハビリを続けたものの、シーズン終盤まで復帰できず、10月22日に現役引退が発表された[35]。10月24日のヤクルト戦(神宮)で引退試合が行われ、自身は8回裏に登板。ドミンゴ・サンタナと対戦し、5球全てを内角へのシュートでバットをへし折り、遊ゴロに打ち取って降板。試合終了後は巨人ナインに5度胴上げされ[36]、翌日引退会見が行われた[37]。11月5日に引退の原因にもなった右膝半月板の手術を受けた[38][34]

引退後

2021年11月15日、2022年シーズンの巨人の巡回トレーニング統括補佐に就任することが発表された[39]

2022年10月13日、2023年シーズンから巡回投手兼トレーニングコーチ補佐に配置転換されることが発表された[40]

2023年10月16日、2024年シーズンから二軍投手コーチに配置転換されることが発表された[41]

選手としての特徴・人物

平均球速約143km/h[42]、最速150km/h超[43]速球と、プロ入り前から投げていたスライダー[44]、90km/h台のカーブ[45]、右打者の懐をえぐるシュート[46]、2009年に習得したチェンジアップ[47]などの球種を持つ。

プロ入り当初は威力のある速球で三振を奪う一方、四死球や暴投による失点を重ねることでなかなか白星がつかなかったが、シュートとチェンジアップを覚えたことで投球に幅が出て安定感を発揮するようになり、肩の故障から復帰後は打たせてとるピッチングもできるようになった[48]

愛称は「寛ちゃん」など[49][50]

真面目で優しい性格であり、チームメイトからの人望も厚い。巨人投手コーチの宮本和知は「(大竹は)時には厳しいが、投手陣の心のオアシス的な存在」と表現している[50]。2021年10月25日に開かれた引退会見では今村信貴菅野智之山口俊中川皓太鍵谷陽平髙橋優貴田中豊樹大江竜聖戸郷翔征畠世周ら大竹を慕っていたチームメイトたちが駆け付けてドッキリを仕掛けるという大竹の人柄を現したような和やかな会見になった[37]

大のラーメン好きで、「ラーメンマン」の異名を持つ[49]。2013年の巨人とのFA交渉の際は、当時の球団代表からラーメンの本が贈られている[51][52]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2003 広島 3 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 36 8.0 9 2 3 0 0 5 0 0 6 5 5.63 1.50
2004 43 5 1 0 0 6 5 17 -- .545 351 82.0 68 11 40 1 4 91 2 0 33 29 3.18 1.32
2005 28 28 0 0 0 10 12 0 0 .455 734 161.2 171 22 87 1 7 161 9 4 110 101 5.62 1.60
2006 30 29 2 0 1 6 13 0 0 .316 682 157.0 172 25 54 2 2 110 4 0 92 86 4.93 1.44
2007 27 24 3 1 0 9 10 0 0 .474 623 145.2 137 15 59 2 6 104 11 0 72 61 3.77 1.35
2008 28 27 3 1 0 9 13 0 1 .409 752 171.0 189 19 67 1 5 99 6 1 89 73 3.84 1.50
2009 29 29 5 3 1 10 8 0 0 .556 781 185.2 177 10 60 3 4 127 10 1 72 58 2.81 1.28
2010 3 3 0 0 0 1 0 0 0 1.000 86 18.0 22 2 10 0 2 9 1 0 10 10 5.00 1.78
2011 6 6 0 0 0 1 1 0 0 .500 129 31.2 28 1 7 1 0 15 0 0 7 6 1.71 1.11
2012 24 24 0 0 0 11 5 0 0 .688 618 144.2 144 6 43 1 5 85 3 0 44 38 2.36 1.29
2013 25 25 1 0 0 10 10 0 0 .500 675 163.0 152 13 49 1 4 100 4 0 64 61 3.37 1.23
2014 巨人 22 22 1 0 0 9 6 0 0 .600 546 129.0 127 13 34 2 4 79 4 0 60 57 3.98 1.25
2015 11 11 0 0 0 3 4 0 0 .429 227 56.0 56 5 11 0 0 35 0 0 21 20 3.21 1.20
2016 17 16 0 0 0 6 6 0 0 .500 393 91.1 91 6 30 1 1 71 3 0 40 36 3.55 1.32
2017 13 13 0 0 0 4 4 0 0 .500 300 69.0 75 9 18 0 3 50 0 1 41 39 5.09 1.35
2018 2 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 42 9.0 13 2 2 0 0 5 0 0 6 6 6.00 1.67
2019 32 0 0 0 0 4 0 0 8 1.000 111 26.0 26 2 8 2 0 24 1 0 9 8 2.77 1.31
2020 29 0 0 0 0 1 2 0 16 .333 100 24.1 20 3 9 0 1 16 0 0 9 7 2.59 1.19
2021 4 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 11 2.1 5 0 0 0 0 0 0 0 1 1 3.86 2.14
通算:19年 376 266 16 5 2 102 101 17 26 .502 7197 1675.1 1682 166 591 18 48 1186 58 7 786 702 3.77 1.36
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBSCプレミア12での投手成績










































2019 日本 3 0 0 0 0 7 2.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00

表彰

  • 月間MVP:1回(投手部門:2009年5月)
  • カムバック賞(2012年)
  • オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2013年第3戦)

記録

初記録
投手記録
  • 初登板・初先発登板:2003年9月26日、対横浜ベイスターズ27回戦(広島市民球場)、1回5失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、1回表に吉見祐治から空振り三振
  • 初勝利・初先発勝利:2003年10月13日、対ヤクルトスワローズ26回戦(広島市民球場)、6回1失点(自責点は0)
  • 初完投勝利:2004年4月21日、対ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、9回1失点
  • 初セーブ:2004年5月29日、対ヤクルトスワローズ10回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に2番手として救援登板・完了、1回無失点
  • 初完封勝利:2007年9月23日、対中日ドラゴンズ21回戦(ナゴヤドーム
  • 初ホールド:2008年10月6日、対横浜ベイスターズ24回戦(横浜スタジアム)、6回裏に2番手として救援登板、2回無失点
打撃記録
  • 初打点:2005年4月10日、対ヤクルトスワローズ3回戦(広島市民球場)、2回裏に石堂克利から投手前スクイズ
  • 初安打:2005年5月8日、対西武ライオンズ3回戦(広島市民球場)、2回裏に石井貴から中前安打
節目の記録
  • 1000投球回:2012年6月5日、対北海道日本ハムファイターズ3回戦(札幌ドーム)、3回裏三死目に中田翔を空振り三振で達成 ※史上326人目
  • 1000奪三振:2015年5月27日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(東京ドーム)、2回表に森友哉から空振り三振 ※史上142人目
  • 1500投球回:2016年7月30日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(東京ドーム)、6回表三死目に大引啓次を空振り三振で達成 ※史上172人目
  • 100勝:2019年8月12日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6回裏二死から5番手で救援登板、1回1/3を無失点 ※史上137人目
  • 100敗:2020年8月23日、対広島東洋カープ12回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8回裏に4番手で救援登板、1/3回1失点 ※史上120人目
その他の記録
  • 連続イニング無失点:43回2/3(2009年) ※球団記録
  • 全球団勝利:2014年4月26日、対広島東洋カープ5回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、5回0/3を4失点
  • オールスターゲーム出場:4回(2008年、2009年、2012年、2013年)

背番号

  • 17(2002年 - 2021年)
  • 108(2022年 - 2023年)
  • 72(2024年 - )

登場曲

代表歴

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 勝利投手の権利を手にしていたが、終盤試合が動いたためオールスター初勝利はならなかった。
  2. ^ 月間5勝0敗、防御率1.56の巨人のディッキー・ゴンザレスとの同時受賞。これは月間MVPが投手野手一括選考だった1986年以来23年ぶり2度目、投手だけで選考されるようになってからは初の月間MVP2人同時受賞となった。
  3. ^ 試合時間はわずか1時間52分で、セ・リーグでは1999年7月4日の巨人対横浜戦(試合は上原浩治が完投勝利)以来およそ10年ぶりに試合時間が2時間を切った。

出典

  1. ^ “大竹が巨人初完封で今季初勝利、広島5割”. 日刊スポーツ (2009年4月29日). 2021年6月12日閲覧。
  2. ^ “広島大竹開幕厳しい、別メニューで調整 - 野球ニュース”. 日刊スポーツ (2010年3月4日). 2023年4月19日閲覧。
  3. ^ “広島大竹粘投で待望の今季初勝利 - 野球ニュース”. 日刊スポーツ (2010年6月13日). 2023年4月19日閲覧。
  4. ^ 【検証】野村カープ元年<中>長期離脱 中国新聞 2010年10月14日
  5. ^ “【広島】大竹1年ぶり復活!誕生日飾る - プロ野球ニュース”. 日刊スポーツ (2011年5月21日). 2023年4月19日閲覧。
  6. ^ “広島大竹“痛手”右小指粉砕骨折で前半ダメ - プロ野球ニュース”. 日刊スポーツ (2011年5月31日). 2023年4月19日閲覧。
  7. ^ “【広島】けが続きの大竹1500万円減”. 日刊スポーツ (2011年11月29日). 2011年11月29日閲覧。
  8. ^ 「大竹、気迫4勝目!因縁の日本ハム斬り」『デイリースポーツ』、2012年6月6日。2021年10月25日閲覧。オリジナルの2012年6月7日時点におけるアーカイブ。
  9. ^ “大竹 カムバック賞に「感謝」 平野以来4年ぶり - 野球”. スポニチ Sponichi Annex (2012年10月9日). 2023年4月19日閲覧。
  10. ^ “日本代表メンバー | 侍ジャパンマッチ2012 「日本代表 VS キューバ代表」”. NPB.jp 日本野球機構 (2012年11月6日). 2023年4月19日閲覧。
  11. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧。
  12. ^ 広島大竹、NHKキャスターと結婚へ - 日刊スポーツ 2012年1月18日
  13. ^ 【広島】大竹挙式!松田オーナーら150人 日刊スポーツ 2012年12月16日
  14. ^ “広島・大竹、FA権取得 球団「総力挙げて」引き留めへ - 野球”. スポニチ Sponichi Annex (2013年4月15日). 2023年4月19日閲覧。
  15. ^ 出場選手NPB公式サイト
  16. ^ 試合結果NPB公式サイト
  17. ^ “大竹G斬りで完成!広島 球団26年ぶり2桁勝利カルテット誕生 - 野球”. スポニチ Sponichi Annex (2013年9月30日). 2023年4月19日閲覧。
  18. ^ 2013年10月18日の産経新聞スポーツ面
  19. ^ “広島・大竹、FA権行使を表明「カープも含めて考えたい」 - 野球”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月12日). 2023年4月19日閲覧。
  20. ^ “広島FAの大竹、巨人へ 「地元の関東で野球をしたい」”. 朝日デジタル (2013年11月25日). 2013年11月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月19日閲覧。
  21. ^ “大竹投手が入団会見 背番号「17」を背負い「しあわせ」”. 読売巨人軍公式サイト (2013年12月4日). 2021年6月12日閲覧。
  22. ^ “巨人・大竹寛投手 クビ覚悟からのカムバック/復活の1年”. 週刊ベースボール (2019年9月6日). 2021年3月13日閲覧。
  23. ^ “大竹 初勝利に「いいスタートが切れた」3安打には「たまたま」”. スポーツニッポン (2014年3月30日). 2021年6月12日閲覧。
  24. ^ “巨人 ド派手18安打11得点!大竹が史上15人目の全12球団勝利”. スポーツニッポン (2014年4月26日). 2021年6月12日閲覧。
  25. ^ “巨人・大竹、3000万円ダウン「来季は競争勝ち抜きローテに」”. スポニチ (2016年11月24日). 2021年3月13日閲覧。
  26. ^ “巨人大竹寛1750万減 中継ぎ転向の可能性も”. 日刊スポーツ (2017年11月27日). 2021年3月13日閲覧。
  27. ^ “巨人大竹50%減2625万円「クビ覚悟していた」”. 日刊スポーツ (2018年11月27日). 2021年3月13日閲覧。
  28. ^ “【巨人】大竹 プロ初の救援勝利”. スポーツ報知 (2019年6月30日). 2019年6月30日閲覧。
  29. ^ “【巨人】投手8人で追い上げ耐え5連勝、大竹はプロ18年目で100勝…試合経過”. スポーツ報知 (2019年8月12日). 2019年8月12日閲覧。
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  43. ^ “広島大竹、NHKキャスターと結婚へ”. 日刊スポーツ (2012年1月18日). 2021年6月12日閲覧。
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  45. ^ “大竹、巨人菅野に「球が速い スゴイ」”. デイリースポーツ (2013年3月14日). 2021年6月12日閲覧。
  46. ^ “大竹けんか投法シュートでキューバえぐる”. 日刊スポーツ (2012年11月15日). 2021年6月12日閲覧。
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  52. ^ “大のラーメン好き巨人大竹寛、過去に原監督から「スープは全部飲むな」”. 日刊スポーツ (2021年10月25日). 2022年2月2日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 大竹寛 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
  • 選手の各国通算成績 The Baseball Cube ※2009年 - 2019年の成績
読売ジャイアンツ 2024
 
監督・コーチ
監督
一軍コーチ
二軍監督・コーチ
三軍監督・コーチ
巡回コーチ
育成コーチ
 
支配下選手
投手
捕手
内野手
外野手
 
育成選手
投手
捕手
内野手
外野手
 
業績
セントラル・リーグ カムバック賞
1974年制定。上記以外の年は該当者なし。
広島東洋カープ開幕投手
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
広島東洋カープ - 2001年ドラフト指名選手
指名選手
 
日本の旗 野球日本代表
日本の旗 野球日本代表 - 2001 AAAアジア野球選手権大会 2 2位
監督
コーチ
投手
捕手
  • 8 石丸太志
  • 9 山城尚悟
  • 10 上田祐介
内野手
外野手
日本の旗 野球日本代表 - 2019 WBSCプレミア12 1 1位 優勝
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手