大和物語

大和物語』(やまとものがたり)とは、平安時代に成立した中古日本の物語。ジャンルは歌物語で作者はいろいろな説がある。

内容・構成

当時の貴族社会の和歌を中心とした歌物語で、平安時代前期『伊勢物語』の成立後、天暦5年(951年)頃までに執筆されたと推定されている。登場する人物たちの名称は実名、官名、女房名であり、具体的にある固定の人物を指していることが多い。

通常では、内容は173段に区切られる。約300首の和歌が含まれているが、『伊勢物語』とは異なり統一的な主人公はおらず、各段ごとに和歌にまつわる説話や、当時の天皇・貴族・僧ら実在の人物による歌語りが連なったいわばオムニバスの構成となっている。

第140段までの前半は(物語成立の)近年に詠まれた歌を核として、皇族貴族たちがその由来を語る歌語りであり、141段からの後半は、悲恋や離別、再会など人の出会いと歌を通した古い民間伝説が語られており、説話的要素の強い内容となる。二人の男から求婚された乙女が生田川に身を投げる「生田川伝説」(147段)、「姥捨山伝説」(156段)などである。また『伊勢物語』にあらわれる「筒井筒」と同じ話が『大和物語』にも出てくるなど、『伊勢物語』の影響は色濃い。『後撰和歌集』や凡河内躬恒の『躬恒集』、『檜垣嫗集』、『公忠集』などの和歌が『大和物語』に出てくることから、これらの作品も『大和物語』と何らかの関係があろう。

ラ変動詞「あり」「居(お)り」の尊敬語である「いまそかり」が数多く使われている。

作者

作者について、古くは在原滋春花山院が擬せられたが、現在に至るまで未詳である。内容が宇多天皇や周辺の人物の話題になることが多く、その成立には宇多天皇の身辺に侍っていた女房が関わっているといわれる。以下作者ではないかとされる人物を列挙する。

  • 説 (1):在原滋春(『伊勢物語』では在原業平が関係している点で。上覚『和歌色葉集』、一条兼良『伊勢物語愚見抄』)
  • 説 (2):在原滋春作・花山院加筆(北村季吟『大和物語抄』)
  • 説 (3):花山院(釈由阿『詞林采葉抄』、一条兼良『歌林良材集』、宮内省書陵部蔵一本甘露寺親長本、御巫本注記、林恕『本朝通鑑』続編)
  • 説 (4):伊勢(宇多天皇との関係から。伝源経信『伊勢物語知顕抄』、高橋正治『大和物語』(塙選書))
  • 説 (5):敦慶親王侍女大和(林恕『本朝通鑑』続編、木崎雅興『大和物語虚静抄』)
  • 説 (6):源順(阿部俊子『校注大和物語』)
  • 説 (7):伊予(宮内省書陵部蔵石沢久吉献納本の奥書)
  • 説 (8):清原元輔(妹尾好信『平安朝歌物語の研究:大和物語篇』)

書名の由来

『大和物語』は『伊勢物語』の影響のもとに成立した作品とされており、「大和」の名は「伊勢」に対する命名であるといわれている。しかし大和という名の女房が記した物語だから「大和物語」だとする説もあり、「大和」という題号がいかなる意味で付けられたのか定かではない。書名の由来については以下の諸説がある。

  • 説 (1):大和しまね(日本国)- 『伊勢物語知顕抄』、北村季吟『大和物語別勘』、井上文雄『冠注大和物語』、井上覚蔵・栗島山之助『大和物語詳解』、藤岡作太郎『国文学全史:平安朝篇』、池田亀鑑「国語と国文学」(第十巻第十号)
  • 説 (2):大和ことば(和語)- 藤原清輔『袋草紙』
  • 説 (3):大和歌(和歌)による古事 - 北村季吟『大和物語抄』
  • 説 (4):大和心 - 南波浩校注「大和物語」(朝日日本古典全書)
  • 説 (5):伊勢物語との対称 - 北村季吟『大和物語抄』、武田祐吉・水野駒雄『大和物語詳解』、西下経一『日本文学史:第四巻』、阿部俊子『校注大和物語』
  • 説 (6):敦慶親王侍女の名 - 林恕『本朝通鑑』続編、木崎雅興『大和物語虚静抄』、五十嵐力『平安朝文学史』
  • 説 (7):大和国 - 荷田春満『群書一覧:巻三』、賀茂真淵『伊勢物語古意』
  • 説 (8):都 - 賀茂真淵『大和物語直解』
  • 説 (9):大和の国ぶり - 折口信夫『日本文学史ノートⅡ』

前半と後半の分け方

  • 141段説
    • 高橋正治(『日本古典文学全集:大和物語』)
    • 柿本奨(『大和物語の注釈と研究』)
    • 今井源衛(『大和物語評釈』)
    • 高橋亨(『研究資料日本古典文学1:物語文学』)
    • 松尾拾(「大和物語文体試論」日本大学『語文』第24輯)
    • 柳田忠則(『大和物語の研究』)
  • 143段説
  • 147段説
    • 雨海博洋(『歌語りと歌物語』)
    • 南波浩(『日本古典全書:大和物語』)
    • 阿部俊子・今井源衛(『日本古典文学大系:大和物語』)
    • 森本茂(『大和物語全釈』)
    • 片桐洋一(『鑑賞日本古典文学:大和物語』)
    • 妹尾好信(『広島大学文学部紀要』第44巻)

附載説話

  • 附載説話第一類 - 『大和物語抄』、『大和物語秋成本』等に付記されている3章段の歌物語群を言う。『平中物語』の1段の前半、37段および34段、36段と、それぞれ一致している。
  • 附載説話第二類 - 御巫本と鈴鹿本にあり、172段と173段の間に入っている9章段で、これらの9章段は『平中物語』の19段から27段までの段序と一致している。ただし、主人公は右京の大夫源宗于になっている。

主な登場人物

伝本

『大和物語』の伝本は、藤原定家藤原為家藤原為氏らによって書写・校合されてきた二条家本系統と、藤原清輔・顕昭らがその著述の中に引用した六条家本系統に大別される。現行で一般に読まれている本文は二条家本系統のものである。

  • 第一類:二条家本系統
  • 第二類:六条家本系統
    • (一)御巫本 - 御巫清三旧蔵姉小路基綱天理大学附属天理図書館所蔵[1]
    • (二)鈴鹿本 - 鈴鹿三七旧蔵愛媛大学図書館所蔵[2]
    • (三)勝命本 - 吉良義則旧蔵久曾神昇所蔵勝命本(しょうみょうぼん)[注 3]と、田村専一郎・支子(くちなし)文庫旧蔵九州大学附属図書館支子文庫所蔵本。
    • 「このものがたり本の差異おほし。六条家の本、二条家の本共ほか、あまたかはりはべり」(北村季吟『大和物語抄』、1653年刊)
    • 「六条家本といふもの、あるよしなれど、いまだ見出侍らず」(木崎雅興『大和物語虚静抄』、1776年刊)

高橋正治による分類

  • 第一類系統
    • A系統(伝為氏本系統)- 三条西家旧蔵小汀利得旧蔵酒井宇吉所蔵 伝藤原為氏筆本(古文学秘籍複製会版影本)、東京教育大学(現・筑波大学)附属図書館蔵大永本[注 4]高橋正治・玄陽文庫本[3]の3本。
    • B系統(群書類従本系統)- 群書類従本、古注本、東京大学附属図書館所蔵南葵文庫旧蔵本、古活字本など。
    • C系統(伝為家本系統)- 尊経閣(前田家)蔵 伝藤原為家筆本(前田家本)の1本のみ。
    • D系統(寛喜本系統)- 文明十年藤原親長書写本[注 5]、陽明文庫蔵本[4]、蓬左文庫所蔵左衛門尉冷泉為衆筆本[注 6]多和文庫所蔵飛鳥井雅俊本、三条西家旧蔵学習院大学本など。巻末に「花山院の作り物かたりなりとある本にあり」とあり、次に宇多法皇の経歴を記す。
    • E系統(天福本系統)- 厳島神社宮司野坂元定所蔵天福本[注 7]大宰府神社所蔵本、無窮会文庫本(第139段まで)の3本。
    • F系統(狩谷本系統)- 静嘉堂文庫所蔵狩谷棭斎旧蔵本[注 8]、京都大学文学部国語国文学研究室所蔵近衛稙家筆本、大東急記念文庫蔵本、高橋正治氏架蔵本など。
    • G系統(首書本系統)- 北村季吟著『大和物語抄』(拾穂抄)、切臨著『大和物語首書』(首書本)、木崎雅興著『大和物語虚静抄』(虚静抄)の3本。純粋度は極めて低下。
    • H系統(桂宮本系統)- 宮内庁書陵部所蔵桂宮本、京都大学附属図書館所蔵中川家旧蔵本[注 9]中院通勝筆細川家永青文庫本[注 10]、島原松平文庫蔵本など。第173段の次に、寛喜本と同じく「花山院の御つくり物かたりとある本にあり」としるし、次いで、「これは又こと本に書きたり」とあり、附載説話第一類があり、最末に寛喜本と同じく宇多法皇の経歴を載せる。
  • 第二類(P系統)- 姉小路基綱写天理大学附属天理図書館所蔵御巫清勇旧蔵本(御巫本〈みかなぎぼん〉)、愛媛大学附属図書館所蔵鈴鹿三七旧蔵本(鈴鹿本)の2本。第172段の後に附載説話第二類9章段が入り、第173段へ続く。第173段のあと、「此物語は花山院御作なりと本にあり」とあり、次に第169段が移されている。これらは本文の特徴から、藤原清輔や顕昭などの六条家の人々のあいだで使われていた系統の伝本ではなかったかといわれる。御巫本と鈴鹿本は系統は極めて近いが、本文にはかなり多くの異同がある。
  • 第三類(Q系統)- 吉良義則氏旧蔵久曾神昇所蔵勝命本(しょうみょうぼん)[5]と、その祖父本たる田村専一郎旧蔵 九州大学附属中央図書館所蔵支子文庫本(支子文庫本[注 11]、田村本、または光阿弥陀仏本)[6]の2本。第142段と第143段との間に他本にはない一段[注 12]を有し、第173段を欠く。勝命本には「美濃権守入道勝命之以進上之本、〈中略〉、正治二年八月十九日 光阿弥陀仏 素光法師是也」とあり、その後に延応二年三月廿九日の奥書と天文七年六月五日、守梁の書写の旨の奥書がある。

研究・受容

大和物語(尾形月耕画)

以下は尾形月耕による『大和物語』の木版画である。同じ歌物語の『伊勢物語』の絵画化は古くからあるが、『大和物語』については絵画化の例はほぼ皆無であり、月耕の作は珍しい例といえる。内容と章段番号は『日本古典文学大系』9に拠った。

  • 藤原忠文の息子藤原滋望が父とともに東国へ下ることになったとき、滋望と交際していた監の命婦がやまももを贈ると、滋望は命婦に「みちのくの あだちのやまも もろともに こえばわかれの かなしからじを」と詠んだ(70段)。
    藤原忠文の息子藤原滋望が父とともに東国へ下ることになったとき、滋望と交際していた監の命婦がやまももを贈ると、滋望は命婦に「みちのくの あだちのやまも もろともに こえばわかれの かなしからじを」と詠んだ(70段)。
  • 藤原庶正(藤原兼輔の子)が賀茂神社の臨時祭の舞人に選ばれて勤めた。このとき或る女から「むかしきて なれしをすれる ころもでを あなめづらしと よそにみるかな」と詠みかけられる(113段)。
    藤原庶正(藤原兼輔の子)が賀茂神社臨時祭の舞人に選ばれて勤めた。このとき或る女から「むかしきて なれしをすれる ころもでを あなめづらしと よそにみるかな」と詠みかけられる(113段)。
  • 大和掾という男は妻のほかに筑紫出身の女を妾にしていたが、男は心変りして妾とは別れることになり、妾は故郷の筑紫へ帰ることになった。男と本妻は山崎の渡しまで出て筑紫の女を見送ると、女は男と本妻に「ふたりこし みちともみえぬ なみのうへを おもひかけても かへすめるかな」という歌を残し舟で去ってゆく(141段)。
    大和掾という男は妻のほかに筑紫出身の女を妾にしていたが、男は心変りして妾とは別れることになり、妾は故郷の筑紫へ帰ることになった。男と本妻は山崎の渡しまで出て筑紫の女を見送ると、女は男と本妻に「ふたりこし みちともみえぬ なみのうへを おもひかけても かへすめるかな」という歌を残し舟で去ってゆく(141段)。
  • 攝津国難波に住む夫婦は貧しさから、妻が夫を残し都に出て宮仕えをした。妻は都で別の男の妻となるも、なお故郷に残した夫のことが忘れられず摂津に戻る。だが住んでいた家は跡形もなく夫の行方もわからない。そこへ芦を背負ったみすぼらしい男が通りかかるが、その男は「きみなくて あしかりけりと おもふにも いとどなにはの うらぞうみうき」という歌を女に差し出す。これこそ別れたもとの夫であった(148段)。
    攝津国難波に住む夫婦は貧しさから、妻が夫を残し都に出て宮仕えをした。妻は都で別の男の妻となるも、なお故郷に残した夫のことが忘れられず摂津に戻る。だが住んでいた家は跡形もなく夫の行方もわからない。そこへ芦を背負ったみすぼらしい男が通りかかるが、その男は「きみなくて あしかりけりと おもふにも いとどなにはの うらぞうみうき」という歌を女に差し出す。これこそ別れたもとの夫であった(148段)。
  • 「ならのみかど」に仕える采女は帝のことを思うあまり猿沢の池に身を投げてしまった。それを聞いた帝が采女の死を痛み猿沢の池を訪れたとき、供をしていた柿本人麿が「わぎもこが ねたくれがみを さるさはの いけのみなもに なすぞかなしき」と帝の心に擬えて歌を詠んだ(150段)。
    「ならのみかど」に仕える采女は帝のことを思うあまり猿沢の池に身を投げてしまった。それを聞いた帝が采女の死を痛み猿沢の池を訪れたとき、供をしていた柿本人麿が「わぎもこが ねたくれがみを さるさはの いけのみなもに なすぞかなしき」と帝の心に擬えて歌を詠んだ(150段)。
  • 朝廷に陸奥国の磐手(いわで)の郡より鷹が献上され、帝はこの鷹を大変気に入り可愛がっていた。あるとき近臣の大納言にその鷹を預けたところ、鷹は逃げて行方知れずとなった。八方手を尽くして探したがどうしても見つからない。致し方なく大納言はこのことを奏上すると、帝はただひとこと、「いはでおもふぞいふにまされる」というのみであった(152段)。
    朝廷に陸奥国の磐手(いわで)の郡より鷹が献上され、帝はこの鷹を大変気に入り可愛がっていた。あるとき近臣の大納言にその鷹を預けたところ、鷹は逃げて行方知れずとなった。八方手を尽くして探したがどうしても見つからない。致し方なく大納言はこのことを奏上すると、帝はただひとこと、「いはでおもふぞいふにまされる」というのみであった(152段)。
  • 信濃国更科に住む男は年老いたおばとともに暮らしていたが、男の妻はこのおばのことを憎み、深い山におばを捨ててこいと男に迫った。ついに男はおばをだまして月夜に連れ出し、山に置き去りにする。だが家に帰った男は、「わがこころ なぐさめかねつ さらしなの をばすてやまに てるつきをみて」と自分のしたことを悔い、おばを迎えに行ったという(156段)。
    信濃国更科に住む男は年老いたおばとともに暮らしていたが、男の妻はこのおばのことを憎み、深い山におばを捨ててこいと男に迫った。ついに男はおばをだまして月夜に連れ出し、山に置き去りにする。だが家に帰った男は、「わがこころ なぐさめかねつ さらしなの をばすてやまに てるつきをみて」と自分のしたことを悔い、おばを迎えに行ったという(156段)。
  • 下野国に住む男がそれまで暮らしていた妻を捨て、新しい女のもとで暮らすことになった。元の妻の家にある家財道具は新しい女の所へ持っていかれ、残ったのは馬ぶね(飼葉桶)ひとつだけ。それも取りにやらすため、男の従者で「まかぢ」という少年が使いに出された。妻はまかぢに、「ふねもいぬ まかぢもみえじ けふよりは うきよのなかを いかでわたらむ」と男に言づてしてくれと頼む。これを聞いた男は家財道具とともに元の妻のところへ帰った(157段)。
    下野国に住む男がそれまで暮らしていた妻を捨て、新しい女のもとで暮らすことになった。元の妻の家にある家財道具は新しい女の所へ持っていかれ、残ったのは馬ぶね(飼葉桶)ひとつだけ。それも取りにやらすため、男の従者で「まかぢ」という少年が使いに出された。妻はまかぢに、「ふねもいぬ まかぢもみえじ けふよりは うきよのなかを いかでわたらむ」と男に言づてしてくれと頼む。これを聞いた男は家財道具とともに元の妻のところへ帰った(157段)。

注釈書

  • 『大和物語鈔』
  • 北村季吟1653年)『大和物語抄』
  • 北村季吟(1655年)『大和物語追考』(『大和物語抄』を補訂したもの)
  • 和田以悦(一華堂切臨)(1657年)『大和物語并首書』
  • 賀茂真淵1760年)『大和物語直解』
  • 木崎雅興(1776年)『大和物語虚静抄』
  • 前田夏蔭1819年)『大和物語錦繍抄』
  • 高橋残夢(文政年間、1818年 - 1829年)『大和物語管窺抄』
  • 井上文雄(1853年)『冠注大和物語』


  • 落合直文[校訂](1890年)「大和物語」『日本文学全書 第6編』博文館
  • 井上覚蔵・栗島山之助(1901年)『大和物語詳解』誠之堂書店。
  • 池辺義象[編](1915年)「大和物語」『校註 国文叢書 第16冊』博文館。
  • 吉沢義則[監修]、鈴鹿三七[校註](1924年)「大和物語」『全訳王朝文学叢書 第1巻』王朝文学叢書刊行会。
  • 佐伯常麿[校註](1925年)「大和物語」『校註日本文学大系 第2巻』国民図書。(抄)

 → (再刊)佐伯常麿[校註](1955年)『新訂校註日本文学大系 第1巻』風間書房。(抄)

  • 浅井峯治(1931年)『大和物語新釈』大同館書店。
  • 國文名著刊行會[編輯](1934年)『大和物語古註大成』国文名著刊行会。[注 13]
  • 古文学秘籍複製会 [編]、池田亀鑑 [解説](1933年)『伝為氏本大和物語 上・下・解説』(古文学秘籍叢刊)古文学秘籍複製会。
  • 武田祐吉・水野駒雄(1936年)『大和物語詳解』湯川弘文社。[注 14][注 15]
  • 池田亀鑑 [解説](1936年)『伝為家筆本大和物語』(尊経閣叢刊)育徳財団。
  • 水野駒雄[校註](1938年)『大和物語』(改造文庫;第2部第29篇)改造社。(前田家本(為家本))[注 16]
  • 吉沢義則[監修](1952年)『大和物語新講』藤谷崇文館。
  • 阿部俊子・今井源衛校注(1957年)「大和物語」(『日本古典文学大系9』所収)岩波書店。(為家本)[注 17]
  • 南波浩[校註](1961年)「大和物語」(日本古典全書)朝日新聞社。(為氏本)[注 18]
  • 塚原鉄雄・曾田文雄 [編](1970年)『大和物語語彙索引』(笠間索引叢刊1)笠間書院
  • 古典研究会(1972年)『久曾神昇氏蔵:大和物語 勝命本』汲古書院
  • 阿部俊子(1972年)『大和物語』(校注古典叢書)明治書院。(為家本)
  • 高橋正治校注・訳(1972年)「大和物語」『日本古典文学全集8』所収、小学館。(天福本)
→ 高橋正治校注・訳(1994年)「大和物語」『新編日本古典文学全集12』所収、小学館。
→ 迫徹朗 [編](1996年)『伊勢物語・大和物語」『細川家永青文庫叢刊:第十巻』汲古書院
  • 雨海博洋1983年)『大和物語諸注集成』桜楓社
  • 高橋正治(1984年)『大和物語 学習院大学所蔵三条西家旧蔵本 D系統本』東京美術
  • 高橋亨(1986年)「大和物語」『日本の文学 古典編;5』ほるぷ出版。(天福本)
  • 雨海博洋(1988年)『大和物語』(有精堂校注叢書)有精堂。(為氏本)
  • 高橋正治(1988年)『大和物語 A系統 大永本』(新典社校本叢書2)新典社
  • 柳田忠則(1988年)『大和物語』(新典社校注叢書5)新典社。(為家本)
  • 山下道代(1993年)『歌語りの時代:大和物語の人々』筑摩書房
  • 森本茂(1993年)『大和物語全釈』大学堂書店。(為氏本)
  • 今井源衛(1999年2000年)『大和物語評釈』(上巻/下巻)笠間書院。(為家本)[注 19]
  • 雨海博洋・岡山美樹全訳注(2006年)『大和物語(上)/(下)』(講談社学術文庫講談社。(為氏本)

研究書

→ 高橋正治(1988年)『大和物語の研究:系統別本文篇 上』、(1973年)『大和物語の研究:系統別本文篇 下』臨川書店
  • 今井源衛(1970年)『王朝文学の研究』角川書店
  • 迫徹朗(1973年)『王朝文学の考証的研究』風間書房[注 22]
  • 雨海博洋1976年)『歌語りと歌物語』桜楓社
  • 雨海博洋・山崎正伸・鈴木佳與子(現・高桑佳與子)(1979年)『大和物語の人々』笠間書院
  • 今井源衛(1990年)『王朝の物語と漢詩文』笠間書院。
  • 森本茂(1990年)『大和物語の考証的研究』和泉書院。
  • 岡山美樹(1994年)『大和物語の研究』桜楓社。
  • 柳田忠則1994年)『大和物語の研究』翰林書房
  • 新田孝子(1998年)『大和物語の婚姻と邸宅』風間書房。
  • 柳田忠則(2000年)『『大和物語』の研究』翰林書房。(私家版)
  • 妹尾好信(2000年)『平安朝歌物語の研究:大和物語篇』笠間書院。
  • 柳田忠則(2006年)『大和物語研究史』翰林書房。
  • 尾崎左永子(2009年)『大和物語の世界』書肆フローラ。
  • 柳田忠則(2011年)『大和物語文献集成』新典社
  • 柳田忠則(2019年)『物語文学の生成と展開―伊勢・大和とその周辺―』(新典社研究叢書;306)新典社。
  • 東原伸明山下太郎[編](2020年)『大和物語の達成─「歌物語」の脱構築と散文叙述の再評価』武蔵野書院

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ ただし、巻頭一葉を欠く。
  2. ^ 第139段まで。
  3. ^ 「勝命」とは藤原親重(ちかしげ)の出家後の法名。
  4. ^ 大永8年三条西実隆奥書あり。高橋正治『大和物語の研究 系統別本文編 上』(1969年)に翻刻あり。
  5. ^ 所在不明。
  6. ^ 明応二年四月廿七日藤原親長書写の奥書、明応五年十一月廿八日左衛門尉為衆書写の奥書をもつ。
  7. ^ 高橋正治「大和物語」小学館『日本古典文学全集』所収はこれを底本とした。
  8. ^ 「花山の院の御つくりものがたりなりとある本にあり」という奥書あり。
  9. ^ 「近衛恵雲院関白稙家公外題、九条東光院関白頼通公」という貼紙がある。
  10. ^ 文禄五年細川幽斎奥書あり。
  11. ^ 第134段以降の零本。
  12. ^ 後撰和歌集』にある歌と詞書と同文である。田村本には細字で注記、勝命本には本文と同大で記されているが、注記が書写のうちに本文に誤写されたと考えられている。
  13. ^ 『大和物語抄』『大和物語虚静抄』『大和物語錦繍抄』
  14. ^ 柿本獎は「連名であるが、水野氏の著作と見てよいであろう。平明を旨とし、掘り下げた解釈は望めない略注である。全文の口訳も付いて更に平明を助ける。」として挙げている[7]
  15. ^ 底本は、國學院大學附属図書館所蔵十一行木版活字本。174段。御巫本にある附載説話も収める。
  16. ^ 前田家本にはない章段を加え174段に分けて、第二類附載説話も収める。
  17. ^ 柿本獎は「為家本を底本にする。本文にごく僅少の原文誤読があり(初刷)、校異提示の仕方、即ち巫鈴勝三本の取扱い方に窺われる著者の伝本認識に疑問があるが、普及に貢献し、研究を誘発する所が大きい、「付載説話」も収める。」として挙げている[7]
  18. ^ 柿本獎は「伝為氏本を底本にする。巻頭の詳細な解説は有益である。」として挙げている[7]
  19. ^ 「大和物語評釈(一)~(六十七)」[8]と、「大和物語評釈(六十八)」[9]が、上下二冊本に再録されたもの。柿本獎は「研究の立場で見る場合は従来のどの注釈書もそれぞれの意義を有し、取捨できるものではないが、常識的にいえば、本物語の注釈はこの『評釈』を批判する事から出発してよいといえよう。さほどに画期的な詳注・詳説であり、必読の述作である。しかし『大和物語』の章段の順序を解いて、更めて主人物単位に組み変えたため、章段の連接(構成)や編者の意図について考察する場を失われた。」として挙げている[7]
  20. ^ 柿本獎は「(高橋)氏の『大和物語』認識の根幹が、この研究書によって窺われる。」として挙げている[7]
  21. ^ 上巻には為氏本・大永本・類従本・為家本・親長本・天福本の各翻刻と大永本影印とを、下巻には静嘉堂本・首書本・桂宮本・御巫本・鈴鹿本の各翻刻と鈴鹿本影印とを収める。
  22. ^ 『大和物語』に関しては、人物考・年次考が8篇収められている。

出典

  1. ^ 昭和51年『天理図書館善本叢書二十九』に複製。
  2. ^ 御巫本とともに翻刻されて、高橋(1970年)『大和物語の研究 本文篇下』に収録。
  3. ^ 高橋(1988年)『大和物語諸本目録 A系統』に全文複製収載。
  4. ^ 室町初期写。文明十年藤原親長筆の転写本。昭和51年刊『陽明叢書 国書篇 第9輯』に全文複製収載。
  5. ^ 久曾神昇『勝命本大和物語とその研究』で発表。
  6. ^ 今井源衛[編]「(支子文庫)大和物語(影印):釈文と解題」『在九州国文資料影印叢書:第2期-1』在九州国文資料影印叢書刊行会、1981年刊、後に今井源衛『王朝の物語と漢詩文』笠間書院、1990年刊に再録。
  7. ^ a b c d e 柿本獎(1981年)『大和物語の注釈と研究』武蔵野書院
  8. ^ 學燈社國文學』第6巻第11号から第13巻第11号に連載。
  9. ^ 梅光女学院大学紀要『日本文学研究』第25号に収載。

外部リンク

ウィキクォートに大和物語に関する引用句集があります。
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ウィキメディア・コモンズには、大和物語に関連するカテゴリがあります。
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  • 大和物語語彙検索
  • 歌物語という「語り」~「大和物語」 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)[リンク切れ] (テキストあり)
  • 九州大学 貴重資料画像 九州大学図書館蔵支子文庫本『大和物語』について
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