冷泉為秀

 
凡例
冷泉為秀
冷泉為秀肖像(土佐光芳画)
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代
生誕 不詳
死没 応安5年6月11日(1372年7月12日
改名 為秀→松峯(号)
戒名 秀宅
官位 従二位権中納言
氏族 冷泉家
父母 父:冷泉為相
兄弟 為成、為秀久明親王妃、女子三人
為邦、為尹
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冷泉 為秀(れいぜい ためひで)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿歌人官位従二位権中納言冷泉家2代当主。

経歴

正二位権中納言・冷泉為相の子として誕生。公卿であったが鎌倉に在住する事が長かった。

歌人として優れていたようで梵灯庵今川貞世鎌倉公方足利基氏和歌を教授した。また、勅撰集風雅和歌集の編纂では正親町公蔭らと寄人を務め、貞和6年(1350年)の年中行事歌合では判者を務めた。

応安5年(1372年)、薨去。家督は為尹が継いだ[1]

系譜

脚注

  1. ^ 為尹は為邦の子で為秀の養子になったとする説もある。
酢漿草と雪笹冷泉家2代当主
上冷泉家
  1. 為相
  2. 為秀
  3. 為尹
  4. 為之
  5. 為富
  6. 為広
  7. 為和
  8. 為益
  9. 為満
  10. 為頼
  11. 為治
  12. 為清
  13. 為綱
  14. 為久
  15. 為村
  16. 為泰
  17. 為章
  18. 為則
  19. 為全
  20. 為理
  21. 為紀
  22. 為系
  23. 為臣
  24. 為任
  25. 為人
下冷泉家
  1. 持為
  2. 政為
  3. 為孝
  4. 為豊
  5. 為純
  6. 為勝
  7. 為将
  8. 為景
  9. 為元
  10. 為経
  11. 為俊
  12. 宗家
  13. 為栄
  14. 為訓
  15. 為起
  16. 為行
  17. 為柔
  18. 為勇
  19. 為安
  20. 為弘
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