中川晴之助

なかがわ はるのすけ
中川 晴之助
生年月日 (1931-01-02) 1931年1月2日
没年月日 (2018-11-25) 2018年11月25日(87歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府
職業 演出家、映画監督
ジャンル 特撮、テレビドラマ
活動期間 1961年 - 2018年
著名な家族 中川一政(父)
中川安奈(娘)
栗山民也(娘婿)
千田是也(叔父、岳父)
中川陽介(甥)
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中川 晴之助(なかがわ はるのすけ、1931年1月2日 - 2018年11月25日)は、東京放送(TBS、現・TBSホールディングス / TBSテレビ)演出部、映画部に所属した監督、テレビディレクター。

略歴

1931年(昭和6年)、洋画家中川一政の次男として生まれる。1953年(昭和28年)、國學院大學文学部を卒業[1]1955年(昭和30年)、東京放送の前身であるラジオ東京(KRT)に入社する。1985年(昭和60年)、テレパックへ出向し晩年まで東京放送ホールディングス社友であった。

2018年11月25日に肺炎のため死去した。87歳没[2]。墓所は雑司ヶ谷霊園

エピソード

1966年(昭和41年)、中川は1月より放映開始された円谷特技プロダクションが制作するTBSテレビ特撮テレビ番組『ウルトラQ』のコイン怪獣カネゴンが登場する話「カネゴンの繭(まゆ)」を監督した。この話を含め同番組では主に子供が主人公の3話を担当し、人間のエゴ偏見を無邪気でひたむきな子供の目線で寓話的に描いた[3]。『ウルトラQ』は全編が映画用の35mmフィルムで撮影されたが、「カネゴンの繭」ではTV用16mmフィルムのつもりで映画用カメラを回し続け、他の監督から「フィルム喰いのハルゴン」と渾名を付けられた[4]

中川はこの『ウルトラQ』に前後して、渥美清主演のテレビドラマ泣いてたまるか』のパイロットである第1話を監督している[5]

主な監督作品

  • 東芝日曜劇場 すりかえ(TBS、1961年)第16回芸術祭奨励賞受賞
  • 東芝日曜劇場 カルテロ・カルロス日本へ飛ぶ(TBS、1963年)第18回芸術祭奨励賞受賞
  • スパイ・平行線の世界 介入(TBS、1966年(監督補))
  • ウルトラQ(円谷特技プロダクション・TBS、1966年)
    • 「鳥を見た」
    • 「育てよ!カメ」
    • 「カネゴンの繭」
  • 泣いてたまるか(国際放映・TBS、1966年-1968年)一話完結のテレビドラマ
    • 「 ラッパの善さん」(脚本:野村芳太郎
    • 「その一言がいえない」[6](脚本:橋本忍
    • 「まごころさん」(脚本:野村芳太郎・森崎東
  • 木下恵介アワー
  • まんまる四角(TBS、1973年
  • 七人の刑事(TBS、1978年)
    • 第3シーズン第14話「恋人を殺すとき」
  • 橋田ドラマ 見合い結婚(脚本:橋田壽賀子、TBS、1980年
  • 金曜ドラマ もういちど春(TBS、1981年
  • 橋田ドラマ 結婚(脚本:橋田壽賀子、TBS、1983年
  • いま、北斎が甦る(TBS、1987年

親族

脚注

  1. ^ “日本映画監督協会 – Directors Guild of Japan”. www.dgj.or.jp. 2021年7月10日閲覧。
  2. ^ “元TBS演出家 中川晴之助さん死去、87歳”. 毎日新聞 (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
  3. ^ この3作品には各々独自のテーマ音楽が新調されており、構成でも「育てよ!カメ」はシリーズ中唯一テロップが子供の落書き風の手書きだったり、「鳥を見た」はシリーズ中唯一エンドロールだったり、「カネゴンの繭」では唯一レギュラー出演者が1人も登場しないなど共に異色作となっている。
  4. ^ 円谷プロダクション監修「本編撮影 撮影」『改訂増補版 全ウルトラマン特撮研究』勁文社、2000年10月10日、ISBN 4-7669-3560-8、98頁。
  5. ^ 『泣いてたまるか』はTBS日曜夜8時の番組であり、放送スタートは同夜7時の『ウルトラQ』において1966年4月10日に「カネゴンの繭」が放送された翌週の4月17日だった。
  6. ^ ファーストシーンから渥美清が殺人容疑の被告人という、これもシリーズ中異色のシリアスな法廷ドラマであり、それに合わせテーマ曲が深刻な調子の別アレンジになっている。

関連項目

外部リンク

  • 関連家系図
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