万国橋

万国橋
万国橋運河パーク側より2014年6月撮影) 地図
基本情報
日本
所在地 神奈川県横浜市
中区海岸通・新港
交差物件 大岡川より分岐した運河
建設 1940年(昭和15年)竣工
座標 北緯35度27分07.33秒 東経139度38分20.7秒 / 北緯35.4520361度 東経139.639083度 / 35.4520361; 139.639083座標: 北緯35度27分07.33秒 東経139度38分20.7秒 / 北緯35.4520361度 東経139.639083度 / 35.4520361; 139.639083
構造諸元
形式 コンクリート製アーチ橋
全長 約50m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示
横浜ランドマークタワーから見た万国橋(2007年4月撮影)
万国橋から望むみなとみらい地区(2015年7月撮影)

万国橋(ばんこくばし、萬國橋とも表記)は、神奈川県横浜市中区海岸通四・五丁目(北仲通地区)と新港一・二丁目(みなとみらい新港地区)の間の運河に架かるコンクリートアーチ橋。馬車道からつながる万国橋通りが上を通過する。現在の橋は1940年昭和15年)に完成した二代目である。

1991年平成3年)には、かながわの橋100選に認定されている[1]。橋から望めるみなとみらい地区の風景は人気があり、テレビドラマの撮影などにも度々使われている(後述参照)。

歴史

初代の万国橋は、明治大正にかけて行われた新港埠頭(当時は税関埠頭と呼ばれた)の築造に伴い、1904年(明治37年)に架設された。全長36.6メートル・幅15.9メートルのアーチ型鋼橋トラス橋)で、上部にはランプを吊るす照明灯(のようなモニュメント)が設置されていた[2][3]。同埠頭は第1期埋立1905年(明治38年)、全体の整備が1914年(大正3年)に完了したが、当時の埠頭と陸地を結ぶ唯一の連絡橋が万国橋であった[4]

初代万国橋は関東大震災でも橋自体に深刻な被害が及ばずに持ち堪えているが、その後は交通量も増えたことから、1940年(昭和15年)になると拡幅し強度を高めた現在の万国橋(コンクリートアーチ橋)に架け替えられている[2][3][5]。橋の両側にある石積み護岸はこの架け替えの際にもあまり手が加えられておらず、初代万国橋が架橋された当時の面影を今に残している[2]

現橋の沿革

主な撮影ドラマ

主な撮影PV

座標

  • 北緯35度27分7.33秒 東経139度38分20.7秒 / 北緯35.4520361度 東経139.639083度 / 35.4520361; 139.639083 (万国橋)
  • 横浜東部[南西] - 地理院地図
  • 万国橋 - Google マップ

アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ かながわの橋100選:万国橋(神奈川県公式ウェブサイト)
  2. ^ a b c d 横浜と世界を繋ぐ架け橋だった!? 観光名所「万国橋」の昔の姿、そして名前の由来とは?(はまれぽ.com 2014年12月27日)
  3. ^ a b 万国橋(週刊 横濱80’s 2014年12月14日)
  4. ^ 日本波止場に万国橋/(横浜わが街シリーズ 2012年11月2日/移転先:YOKOHAMA xy版)
  5. ^ 万国橋ビル(近代建築アーカイブクラブ)

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、万国橋に関連するカテゴリがあります。

響橋鶴見川橋・江ケ崎跨線橋・万代橋・瑞穂橋梁・西鶴屋橋・霞橋・横浜ベイブリッジ打越橋・フランス橋ポーリン橋

弁天橋・霧笛橋・西之橋・万国橋・大岡橋梁浦舟水道橋・吉野橋・大貫谷戸水路橋・夕照橋・称名寺平橋・反橋

金沢八景大橋・鴨池橋・昇竜橋・大師橋・新大扇橋・六郷橋丸子橋ガス橋二子橋多摩水道橋

小泉橋・夫婦橋・天神橋湘南大橋馬入橋・下花水橋・花水川橋・太鼓橋・夷堂橋・歌之橋・弁天橋

江の島大橋・江の島弁天橋・遊行寺橋・米神橋・白糸橋・片浦橋・住吉橋・無名の石橋・白糸川橋梁・ふれあいばし・富士見橋

東郷橋・高田橋・新昭和橋・相模川水路橋城ヶ島大橋・まほろば大橋・森のかけはし・相模大橋・才戸橋・戸沢橋

平成橋・深見歩道橋・加寿美橋・芹沢陸橋・圓通橋・御供橋・岩流瀬橋・新武者寄橋・みそぎ橋・本郷橋・足柄大橋

文久橋・大寺橋・新十文字橋・永歳橋東名酒匂川橋・松ケ山橋・東名皆瀬川橋・世附大橋・出山の鉄橋・旭橋

芦川橋・八千代橋・岩大橋・権現橋・平山橋・日向橋虹の大橋宮ケ瀬大橋・小倉橋・三井大橋

名手橋・青野原大橋・桂橋・相模湖大橋・嵐山橋・弁天橋・弁天橋・勝瀬橋日連大橋・亀見橋

  • 表示
  • 編集