七里村

曖昧さ回避 この項目では、かつて埼玉県にあった七里村について説明しています。かつて山梨県にあった七里村については「塩山市」をご覧ください。
ななさとむら
七里村
加田屋川(加田屋橋付近)
加田屋川(加田屋橋付近)
廃止日 1955年1月1日
廃止理由 編入合併
北足立郡植水村片柳村指扇村春岡村七里村馬宮村大宮市
現在の自治体 さいたま市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
北足立郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 6.98 km2.
総人口 3,775
(住民登録人口、1954年7月1日)
隣接自治体 岩槻市大宮市北足立郡春岡村片柳村
七里村役場
所在地 埼玉県北足立郡七里村大字東門前字原
座標 北緯35度55分59秒 東経139度40分22秒 / 北緯35.933056度 東経139.672778度 / 35.933056; 139.672778座標: 北緯35度55分59秒 東経139度40分22秒 / 北緯35.933056度 東経139.672778度 / 35.933056; 139.672778
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七里村(ななさとむら)は、かつて埼玉県北足立郡にあった。現在のさいたま市見沼区の一部にあたる。

地理

現在のさいたま市見沼区東部にあたり、「七里地区」と称されることがある。西部はおおむね大宮台地上に位置するが、南部や東部には見沼田んぼにあたる区域もある。

歴史

  • 1889年(明治22年)
    • 4月1日 - 町村制施行に伴い、大谷村・猿ヶ谷戸村・東門前村・東宮下村膝子村・新堤村・風渡野村として発足し、7村で大谷村外6ヶ村組合を構成する。
    • 6月1日 - 同じ北足立郡内に大谷村(現・上尾市)が発足したことから、膝子村外6ヶ村組合と改称する。
  • 1913年大正2年)4月2日 - 膝子村外6ヶ村組合内の7村が合併し、七里村が発足[1][2]。旧村は七里村の大字となる。初代村長は吉田茂助、役場は旧東門前村(現・見沼区役所七里支所付近)に置かれた[2]。村名は、7村を合併したことに由来する[2]
  • 1929年昭和4年)11月17日 - 七里村に北総鉄道(現・東武野田線七里駅が開業する。
  • 1955年(昭和30年)1月1日 - 大宮市編入[1]。同日七里村廃止。大字は大宮市へ継承された[2]

脚注

[脚注の使い方]

参考文献

関連項目