トマス・マートン

トマス・マートン
聖職
司祭叙階 1949年
個人情報
別名 ルイス(修道名)
出生 1915年1月31日
フランスの旗 フランス共和国 プラード
死去 1968年12月10日
タイ王国の旗 タイ バンコク
出身校 コロンビア大学
テンプレートを表示

トマス・マートン(Thomas Merton、1915年1月31日 - 1968年12月10日)は、アメリカ合衆国カトリック教会厳律シトー会(トラピスト)の修道司祭作家。修道名は「ルイス」。

生涯

トマスはニュージーランド人オーウェン・マートンとアメリカ人ルースの長男としてフランススペイン国境付近の町、プラードで生まれ、母方の祖父母のいるニューヨーク近郊のダグラストンに移り住む。その後、弟ジョン・ポールが生まれたが彼が6歳のころ、母ルースが死去。トマスは父と一緒に旅行し、それが彼に影響を与えることになる。その間、出生地のフランスの学校に入り教育を受け、後にイギリスに移住。ロンドン英国国教会系の学校に通い、1929年、オーカムのパブリック・スクールに入学した。しかし父が脳腫瘍を患い、1931年1月に死去。トマスは父の友人であるトム・ベネットを後見人としてベネットの下で過ごすようになる。

オーカムの学校を卒業し、ケンブリッジ大学奨学生試験に合格、大学に入学した。当初、外交官を目指したが自堕落的生活を送るようになる。トマスはケンブリッジ大学を退学、1935年1月、コロンビア大学に2年生として入学。在学中、カトリック教会の洗礼を受け、マーク・ヴァン・ドレインという教授に師事した。その教授との出会いが大学生活を充実させた。

トマスはコロンビア大学を卒業、同大学付属学校の非常勤教師を勤務、英語の授業を担当した。その間、中断しフランシスコ会への入会を希望したが拒否され、教師に戻った。

1941年12月10日、厳律シトー会のゲッセマニ修道院に入会、修道生活を送るため今まで執筆した文章を処分した。しかし修道院長は彼の才能を惜しみ、執筆活動をするように命じた。トマスは多くの著作を残し、特に1948年、彼の代表作である自叙伝『七重の山』を執筆し、驚異的なベストセラーとなった。1949年、司祭に叙階、1951年、アメリカ合衆国に帰化した。彼は他の修道者、修練者の指導に当たり、1956年、修練長に任命された。

1965年、隠遁生活に入り、1968年、観想修道会の国際会議に参加するためアジア各地を回り、同年12月10日、滞在先のタイバンコク扇風機による感電で死去した。

出典

  • 『トマス・マートン 地平線のある人生』 マリア・ルイサ・ロペス著 聖母文庫 1999年

関連項目

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、イギリスの歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:イギリス/P:歴史/P:歴史学/PJ:イギリス・アイルランド)。

  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、アメリカ合衆国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:歴史/Portal:アメリカ合衆国/PJ:歴史/PJ:アメリカ合衆国)。

  • 表示
  • 編集
シトー会
シトー会士
修道院
関連項目
母体修道会 派出修道会
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • カタルーニャ
  • ドイツ
  • イタリア
  • イスラエル
  • ベルギー
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • ラトビア
  • 日本
  • チェコ
  • オーストラリア
  • 韓国
    • 2
  • クロアチア
  • オランダ
  • ポーランド
  • ポルトガル
  • バチカン
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • MusicBrainz
  • ニューヨーク近代美術館
  • 写真家識別目録
  • ULAN
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
その他
  • SNAC
  • IdRef